橋本英郎が指摘する“お山の大将”問題。「サッカーが楽しい」と思える理想の育成環境とは?
“お山の大将”が山から出るとき
指導現場でたびたび問題になるのが、“お山の大将”問題です。 たまたま入ったクラブの中で飛び抜けた実力を発揮し自己肯定感を得る。ここまではいいのです。最高です。しかし、これが自分のレベルに見合わないところでずっと王様のようなプレーをしているとなると、その選手にとってこれ以上不幸なことはありません。 当たり前ですが、上には上がいます。私が13歳で知った「上」は結果的に日本のトップクラス、世界にもつながる上すぎる上でしたが、中学、高校、行くかどうかは別にして大学と年齢が上がるとともに「上」は必ず現れます。 “お山の大将”期間が長いと、天狗の鼻が長く伸びて、成長の邪魔をする余計なプライドが育っていきます。環境が変わって、自分の山以外にも山があること、そして自分がいた山が思ったより小さかったことを知ったとき、絶望してサッカーをやめてしまう選手も少なくありません。
自己肯定感とチャレンジのバランス
指導者や親にできることは、その子に合ったレベルでプレーできる環境を用意してあげることです。これにはいまの日本サッカーの育成年代を取り巻く環境にも問題というか、改善の余地があると思っています。 あるクラブで絶対的なエースだった選手がもう少し上の環境でやりたいと思ったとします。日本では小学校卒業、中学校卒業、高校卒業の6・3・3制のタイミングでクラブを変わることが多く、それ以外での移籍はあまり歓迎されません。 クラブの勝利に固執して勝ちたい指導者が“お山の大将”を小さな山に閉じ込めておくケースもあります。これは将来的には日本サッカーの損失になる可能性すらあります。レベルが合っていない選手は、もっと高いレベルでプレーできる環境に上げてあげることも指導者の役目だと思います。 J下部などの育成では、こうした問題は起こりにくくなっています。ガンバでは早くからそうでしたが、ジュニアユースの選手がユースの試合に出る、ユースの選手がトップデビューする、いわゆる“飛び級”が早くから行われていました。これも、戦力面でのことより、その選手が成長できる環境はどんな環境かを考えた結果のことです。 サッカーの楽しさという観点で話すと、“お山の大将”問題は、もう少し複雑になります。“お山の大将”としてプレーすることが絶対的な悪かというと、ガンバジュニアユースで自分の非才に絶望した私が、長居公園の草サッカーに一時避難することで自己肯定感を得て、なんとかサッカーをやめずに済んだように、“お山の大将”でいる期間にもそれなりの意味はあるのです。 街クラブで頭角を現し、高倍率のセレクションに受かって中学からJ下部のジュニアユースに進んだもののレベルの高いポジション争いに加われず、結局サッカーをやめてしまったという話もよく聞きます。これも逆の意味で、自分のレベルといまいる環境のレベルが合っていない例だと思います。