下士官ですら死刑執行 米軍の怒りはどこに 石垣島事件厳罰の背景は~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#48
米軍機の飛行士を処刑したBC級戦犯事件の中で、41人に死刑という格段に重い判決が下された石垣島事件。その理由は何だったのか。弁護人が非常識とまで言い切った厳罰の背景はー。 【写真で見る】死刑を宣告された石垣島事件の被告たち
飛躍的、非科学的、非常識な判決
41人に死刑という石垣島事件の判決が宣告されたのは、1948年3月16日。判決後、弁護人が記した意見書がある。 石垣島事件の判決関する意見(金井重夫弁護人) 判決は三番目に銃剣により刺突された飛行機搭乗員に対し、数十名が刺突した後も「生きていた」と認定している。その結果として、刺突者はすべて「生きていた人を殺害した」ものであるとした。それは一証人の不確実な証言に基づくものと考えられるが、検察側の起訴状付属の罪状項目には、「死体を冒涜し」の一句を入れている程で、この事実の認定は甚だ飛躍的であり、非科学的でもあり、非常識でもある。(※「」は読みやすく挿入した) 現在の刑事裁判には判決文というものがある。主文の量刑と判決理由が書かれたものだ。特に被告人と検察側の主張に相違がある場合は、裁判所がどういう事実認定をしたのか、この判決理由で知ることができる。ところが、横浜裁判には判決文がない。金井弁護人が「判決は飛行士に対し数十名が刺突した後も生きていたと認定している」と書いているのは、そうでないと、刺した者たちが死刑になるのはあり得ないからだ。数十人に刺されても生きていたというのは、確かに非科学的だ。 〈写真:石垣島事件の法廷(米国立公文書館所蔵)〉
横浜裁判で死刑宣告は123名
横浜弁護士会が1997年にBC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会を設置し、調査した結果をまとめた「法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録」(日本評論社2004年)によると、横浜裁判で絞首刑の判決を受けたのは、合計123名だという。このうち西部軍の横山勇司令官ら数名が斬首と生体解剖で重複して判決を受けている。 つまり、石垣島事件で41人死刑というのは、横浜裁判で出された死刑判決の3分の1を占めるということだ。一つの事件でこれほどまでに死刑判決が出されるのは、やはり異常事態だろう。 ちなみに「法廷の星条旗」の中には、石垣島事件の検証は入っていない。委員長を務めた間部俊明弁護士によると、横浜弁護士会に所属する先輩弁護士が関わった事件を選んで、検証を進めたということだった。石垣島事件の弁護人は横浜弁護士会所属ではなかった。ただ、横浜裁判の中では大きな事件なので、将来的には検証の対象になり得るということだった。 〈写真:死刑を宣告された石垣島事件の被告たち〉