下士官ですら死刑執行 米軍の怒りはどこに 石垣島事件厳罰の背景は~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#48
刺突訓練で殺害 日本では当たり前?
石垣島事件の死刑41人の判決に戻るが、とにかく異常なほどに米軍の処罰感情が強かったということではないか。 3人のうち、2人は斬首だが、3人目のロイド兵曹を杭に縛り付けて暴行後、数十人が銃剣で刺したという殺害方法に対して、米軍は怒りを持ち、関わった者すべてを厳罰にするという意志が最初から働いたのではないか。 最初に身柄を拘束された井上乙彦大佐の調べ段階から、明らかに「共同謀議」に持ち込む意図が見える。 石垣島事件がなぜ異常な数の死刑判決になったのかという文脈では、井上大佐が「命令を曖昧にした」という個人の責任で非難される表記が多く見られる。しかし、41人の死刑判決に至った理由は、大佐の態度だけではなく、そもそも殺害方法の残虐性によるものではないのか。 3人目の殺害方法については、前島少尉の証言によれば、井上勝太郎副長が提案し、井上大佐が決定して命じたということなので、無論、井上大佐の責任は重い。 しかし裁判資料の中には、弁護人が「戦後に遺体を掘り起こして燃やし、海に投棄した隠蔽工作については非難されるべきもの」と書いたものがあったが、殺害方法については、その方法を非難したものも、その残虐性に言及したものも見つけることは出来なかった。刺突訓練は、初年兵や補充兵に度胸をつけさせるための教育として当たり前に行われていたようなので、当時は何も感じなかったのだろうか。 しかし、米軍から見れば、それは断じて許されない行為だった。 〈写真:銃剣で刺され殺害されたロイド兵曹〉
想像を超える米軍の「怒り」
戦犯裁判を研究している恵泉女学園大学の内海愛子名誉教授が、横浜裁判について語った言葉が思い出される。 「やっぱりね、捕虜虐待に対する怒り?それは私たちの想像を超えます」 藤中松雄のような下士官が、「命令に従った処刑実行者」であっても絞首刑を執行されたのは、米軍の怒りによるものだったのかー。 〈写真:内海愛子 恵泉女学園大学名誉教授〉 (エピソード49に続く) *本エピソードは第48話です。