清春とBorisの共闘、インディペンデントの精神、誇り高く生きる「美学」を語る
日本での2マンツアーに向けて
―確かに諦めてる気はします。でも、今回、国内でBoris&清春ツアーをやることで、何かのブレイクスルーになる気配もあると思うんです。それぞれ、ツアーの目的ってあるんですか? 清春:僕は、今回はシンプルに日本でもやりたいねって気持ちですね。今後アメリカにも、ヨーロッパにも行くかもしれないし、オーストラリアの反省点を生かして、違う形態でやるのもいいなと思うし。その日、その都市、その期間だけでもチャレンジをして、それが気持ちいいのであれば、僕の音楽人生においてやる価値はある。日本では、僕のイメージが固まってるけど、海外にはそんなの無いしさ。SADSだとか黒夢だとか知らないから。 Atsuo:逆に言うと、清春さんは30年間日本の音楽業界に閉じ込められてきた気がするんです。 清春:その響き、いいですね(笑)。 Atsuo:今回のツアーですごく思いましたね。実際、ライブを観ると本当に圧倒的。国境、言葉も関係ない。みんな早く気づいたほうがいいですよ。カリスマって言葉で簡単に済ませないで。この間地上波にも出ていましたが、清春さんはそうやって一般層にも届けられる。そこからこっち側に引きずり込むような流れを作れる人だから。それは、僕らにはできないこと。 清春:バラエティ番組に出ただけですけどね(笑)。 Atsuo:それをきっかけに実際にライブを観て、傷を受けてほしいですね。観たら絶対にすごいってわかるのでね。 清春:Borisは主戦場も、生きてきた種類も、選択してきたものも違うんですけど、同じような年代で、そっち側を選んだんだっていうのもすごいと思う。普通ならこっちを選ぶんですよ。僕はその「こっち」が間違ってると思ったから、ずっと自分でやってきたんだけどね。ある意味、こっちの中での違う生き方を選んだ。最初から選ばなかったのがBorisなんだなって。なるほどねって感じでした。別にデカい事務所を選ぶわけでもなく、日本におけるロックフェスに出るようアプローチするわけでもなく、それでやっていけてる。海外でツアーすることで生活が成り立っちゃってる。 Atsuo:それはラッキーなだけですけどね。 清春:何度も言うけど、海外の人も交えて日本の音楽を紹介するのがフェスだとしたら、日本のフェスで、Borisが日本代表なんだって示せばいいと本気で思うんです。なぜそれをやらないんだろう?って。先日、能登の被災地に行って思ったんです。能登も東北もそうですけど、なぜ復興が進まないのか、なぜ少数の人しかそれに目を向けないのか。今の音楽の状況とも近いと思う。現地には行かず、写真だけ見て、かわいそうですねって言ったりしていますよね。そもそも取り扱われないし。それは、日本の政治や行政が蓋をしてるからなんでしょうけど。別のものへ目を逸らさせるような世の中の動きになってるのは、日本の音楽シーンにも感じますね。音楽はエンタテインメントだけど、エンタテインメントってリアルじゃないと思ってるのかな? そこにリアルを感じない人が多いから、逆に言えば実際に起きてる震災や事件もリアルに感じないのかなとか思っちゃいますよね。だって、嘘でいいんでしょ? フェイクで熱狂できるんでしょ?って。それが、日本に帰ってきて、最近思ってることですね。 Atsuo:清春さんがゲスト出演していたネット番組で社会学者の宮台真司さんが、一人一人が、行政や社会システムに依存する生き方じゃない生き方を模索すべきと言っていたのに共感しましたね。そういう意識を持つきっかけになるのが、僕らがやっている音楽であったり、ロックだったりするので、だから僕は続けなきゃならないと思うし。 清春:その活動が本物だってわかってる日本のアーティストはたくさんいるはず。日本人同士なんだから、ちゃんと紹介しないと。僕はその役割の一端を担えればいいかなと思います。Borisの果てしない美学をちゃんと伝えたいですね。 ―Atsuoさんはどうなんですか? 日本で伝えたい、みたいな想いって。 Atsuo:諦めてるって言うと悪いけど、力の配分はどんどん減っていきますよね。 清春:そうでしょうね。 Atsuo:結局、海外で稼いできたお金を日本で使うことになるので。それはそれでいいんですけど、プロモーション代とかにお金がかかる費用対効果で言うと本当に日本は悪いんですよ。音楽以外のことに相当費やさなきゃならない時間とお金がかかるっていう実感はあります。でも、僕も何度も言いますが、清春さんを簡単にカリスマって便利な言葉でスルーしないで、その音楽を通した生き方、独自性、その美学を知った方がいい。清春さんはヴィジュアル系じゃないから。後からそのジャンルができて組み込まれたけど、その元になった人。日本の重要なロックの歴史を継承している。 清春:それにしても、この国の音楽シーンの歪みみたいなものって、僕らが50代で訴えることではなくて、もっと下の世代の子たちが発言すべきだし、何かするべきだと思うんです。この間のネットの番組でも言ったけど、被災地に何かをしたいっていう気持ちは50代の僕らだけじゃなくて、若い子たちが伝えて、さらに若い子たちに影響を与えていってほしいと思いますね。今、影響力のある若い人たちが、リアルを伝えるべきですよ。音楽カルチャーも、震災も含め日本の情勢も。 ―なんで言えないんでしょうね。 清春:自由を身につけてからじゃないと言えないんだろうね。自分で活動していれば言えるんだけど。自分のことは自分で選んで、自分で決めて、自分でクリエイトしてサバイブしていくほうがいいよ。 Atsuo:今日思ったんですけど、コロナからまだ4年しか経ってないのに、街を見たらすっかりもとに戻っていてびっくりしたんです。コロナ禍でアーティストが何をしたかっていうのを、誰も検証しないまま過ぎていますよね。僕は、清春さんがやってきたことをしっかり見てきたし、その部分で信頼できたっていうのもある。あの時、ひどい活動してた人もいたでしょ? 清春:いましたね。 Atsuo:配信をやるにしても、カルチャーの息の根を自分で止めにいってる人達がたくさんいた。その中で清春さんがやっていたことは、本当に前向きで素晴らしかった。あの状況下で、今という瞬間をどうやって共有していくか常にアップデートしていましたよね。 清春:ありがたいですね。アーティストと呼ばれるのであれば、やっぱり妥協しちゃダメなんですよね。みんな職業欄の「アーティスト」でしかないから。 Atsuo:昨今は「食べていき方」の一つの業種として「ミュージシャン」っていう職業に就きたいんだなって感じがします。自分達はは音楽をやりたいってシンプルなところから始まって、妥協しないまま伝えるためのやり方を模索してきた。世の中ではミュージシャンっていう職業がある、そこに辿り着くには、事務所に入って、レコード会社と契約してっていう手順が一般的な方法として流通している。その手順を踏めば食えるのかな?とかってみなさん思っているのかな? アーティストっていうのはそれぞれが表現していること自体が全く違うし、自ずと方法論や運営の仕方も個々に違ってくるはずです。清春さんは、いつも正直に自分ですべて背負って、その時々に感じた違和感をどうアップデートしきるかってことをやっているじゃないですか。生きることに対しても、ロックっていう生き方において誠実だから。だからこうやって一緒に組めるんです。その辺はお互い真面目だなと思いますね。