消滅後に脚光を浴びるのは"大物"の証拠 破天荒さでAZ-1の右に出るクルマなし
画期的な技術をアピール
3タイプが公開されたAZ550 SPORTSだったが、それはマツダの新開発技術をアピールするためだった。スケルトンモノコックフレームは、法規では許されていないが、ボディなしでも走行可能な強度を確保。そこに自由自在に外板パーツを貼り付ることで、同じフレームから異なるデザインのモデルを簡単に作ることができる。 現行のダイハツコペンがDフレームの採用によって、ローブ、エクスプレイ、セロという3タイプのボディデザインをラインナップしているのと同じ手法だ。
ショーモデル試乗会を開催
東京モーターショーで公開され一躍注目の的となったAZ550 SPORTSへの反響は凄まじく、来場者は市販を切望。 マツダもノリノリで、東京モーターショー後にマツダはAZ550 SPORTSのマスコミ向け試乗会を開催。3タイプあるなかショーで一番人気だったのはBタイプだったが用意されていたのはAタイプ。そう、マツダでは市販するならAタイプと決めていたようなのだ。このAタイプは、リトラクタブルヘッドライトを備えた低いノーズ、ウェッジシェイプのボディにガルウイングドアを備える特徴的なデザインでいかにもコンセプトカーと言った感じ。だから市販する時には、普通のヒンジタイプのドアになるだろう、というのが大方の予想だった。 走りに関しては、試乗した評論家は、「スパルタンでファン!!地齋に操ることができるが、まだ煮詰め不足」というものだった。
軽スポーツへの注目度が高まる
その当時ハイパワースポーツが続々と登場する一方で、軽スポーツにも注目が集まっていた。ダイハツミラターボ、スズキアルトワークスの人気は高かったが、一石を投じたのが1991年5月にデビューしたミドシップ軽オープンスポーツのホンダビートだ。ホンダが作った軽スポーツという付加価値もあり大人気となった。 それに続いたのが軽の老舗スズキで、1991年11月にデビューした。このカプチーノはAZ550 SPORTSと同様に東京モーターショー1989に出展されていた。駆動方式はFRで、ハードトップ、Tバールーフ、タルガトップ、フルオープンの4タイプを変幻自在に楽しめる脱着式のルーフが特徴となっていた。FRということで小さいながらもロングノーズ&ショートデッキのデザインはスポーツカー然としていた。