菅家の百人一首「このたびは~」の意味や背景とは?|学問の神様・菅原道真の有名な和歌を解説【百人一首入門】
『小倉百人一首』に登場する菅家(かんけ、菅原道真のこと)は、学問の神として広く知られていますが、その和歌は情景や心情が深く描かれており、多くの人に愛されています。菅家は当代屈指の漢詩人で、宇多・醍醐の両天皇に信頼され右大臣となります。しかし、大宰府に左遷され、そのまま亡くなりました……。 写真はこちらから→菅家の百人一首「このたびは~」の意味や背景とは?|学問の神様・菅原道真の有名な和歌を解説【百人一首入門】 菅家の残した和歌には、どのようなものがあるのか、ご紹介していきます。
菅家の百人一首「このたびは~」の全文と現代語訳
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに 【現代語訳】 今回は、幣(ぬさ)の捧げ物さえ用意できない。せめて手向山(たむけやま)の紅葉の錦を幣として神様に捧げるので、神のお心そのままにお受け取りください。 『小倉百人一首』24番、『古今和歌集』420番にも収録されています。『古今和歌集』の詞書には、「朱雀院の奈良におはしましける時に、手向山にて詠みける」とあります。朱雀院とは宇多上皇のこと。退位後、道真ら多くの歌人を伴って宮滝御幸(みやたきごこう)と呼ばれる、大和(奈良)地方へ旅行した際に詠まれたものです。 「このたびは」は、「この度」と「この旅」をひびかせています。「ぬさ」は、綿の切れ端で作った神への捧げもののことで、道々の道祖神に捧げて旅の無事を願う風習がありました。神への捧げものとしては綿で作った幣よりも、手向の山の紅葉を錦に見立て、幣とするほうがふさわしいというのです。 「とりあへず」の「とる」は、捧げるという意味ですから、ここでは「捧げることができない」ことを表しています。「手向山」は、固有名詞ではなく、「手向け(お供え)をする山」という意味で、「神のまにまに」は「神の思うままに」という意味になります。 紅葉が、錦織のように見えるという表現はその美しさを際立たせ、道真の繊細な感性が伝わってきます。
菅家が詠んだ有名な和歌は?
菅家は、他にも心に響く和歌を残しています。代表的なものを二首紹介します。 1:東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ 【現代語訳】 東から風が吹いてきたら、香りを届けてください、梅の花よ。私がいなくとも、春の訪れを忘れないでいてほしい。 『拾遺和歌集』『大鏡』には、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」とあります。『拾遺和歌集』の詞書には、「なかされ侍りける時、家のむめの花を見侍りて」とあり、道真が大宰府に左遷される時、京都の「紅梅殿(こうばいどの)」と呼ばれた家にある梅の花に、別れを惜しんで詠んだ歌です。 「紅梅殿」の梅が、京都から九州の大宰府まで飛んで行ったとされる「飛梅(とびうめ)」の伝説も残っています。 2:さくら花 ぬしをわすれぬ ものならば 吹き来む風に 言伝てはせよ 【現代語訳】 桜の花よ、主人を忘れないならば、配所まで吹いて来る風に言伝をしてくれよ。 『後撰和歌集』57番に収録されており、詞書には「家より遠き所にまかる時、前栽の桜の花に結ひつけ侍りける」とあります。「遠き所」とは大宰府を指し、上の歌と同様、京都の家を発つときに詠んだものです。 庭に植えた梅に、別れを告げなければならない無念を感じさせます。