没落の恍惚と哀しみが胸に迫る ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「桜の園」
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回はケラリーノ・サンドロヴィッチ上演台本・演出の「桜の園」について。 * * * ケラリーノ・サンドロヴィッチ上演台本・演出の「桜の園」を見たのは太宰治の『斜陽』を再読した直後のことだった。だから、よりリアルに「没落」の「恍惚と哀しみ」が胸に迫った。 舞台は19世紀末ロシア。桜の木に囲まれた邸宅に住む貴族の物語である。 天海祐希演じる女主人ラネーフスカヤがパリから帰郷する。 一族の家計は火の車だが、彼女と兄ガーエフ(山崎一)は現実に向き合うことなく、桜の花びらが一片ずつ散っていくように、財産が失われていくのにただ身を任せるのみだ。 「桜の園」はロシアを代表するアントン・チェーホフの遺作であり、「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」と並び、彼の四大戯曲と称される。 ロシア初演は1904年(モスクワ芸術座)、日本では1915年、近代劇協会が初演。それ以来世界中で数え切れないほど上演されてきたが、僕は積極的にこの演目に足を運ぶことはなかった。帝政末期のロシア戯曲という敷居がどうも高く感じられて。 上演パンフレットで、農奴出身でお人良しの成り上がり商人ロパーヒンを演じる荒川良々が「(彼が所属する大人計画主宰者)松尾(スズキ)さんは60歳過ぎてからチェーホフが面白くなったとか」と語っているし(松尾さんは僕の席の真ん前で、彼の頭越しに観劇と相成った)、演出のケラさんも還暦過ぎと考えれば、僕もようやく見ても良い年齢に達したのかと妙な心持ちで舞台に見入った次第。 そこにあったのは侘びと寂びの滅びの美学だった。 とにかく貴族は「何もしない」。そして一切「動じることもない」。まわりの忠告や提案を聞き流し、すべて他人がやってくれるものと時が過ぎゆくのを眺めている。人を呼び、パーティを開き、金もないのに金を貸し、ひたすら浪費の日々を過ごす。