9歳で“飛び級”バルサ下部組織へ。久保建英、中井卓大に続く「神童」西山芯太の人間的魅力とは
FCバルセロナの久保建英、レアル・マドリードの中井卓大に続き、日本人小学生3人目のビッグクラブ入団が実現した。東京都出身で現在4年生(9歳)の西山芯太くんが、バルサの下部組織であるアレビンA(U-12)に“飛び級”で加入を果たした。家族の仕事の都合で8歳の時にスペインに移住。昨季はバルセロナ地域で数多くのトッププレーヤーを生み出した育成クラブ「エストレージャ・ダム」でプレーしていた。小学校1年生から西山くんの指導に携わり、スペインに渡ってからも交流を続けているFC PORTAの羽毛勇斗監督に、西山くんのポテンシャルや、人間的な魅力について話を聞いた。 (インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=FC PORTA)
“衝撃の出会い”は幼稚園生の時
――羽毛勇斗監督と西山芯太くんとは、最初はどんな出会いだったんですか? 羽毛:出会いは幼稚園生の時です。私たちFC PORTA(以下、ポルタ)は幼稚園生も教えていて、当時、芯太は横浜FCのサッカースクールにいたんですが、U-6対象の大会で試合をする機会があったんです。その時は芯太のことをまだ知らなかったのですが、試合前に代表の谷口(凱哉)から興奮気味に電話がかかってきました。「相手にヤバすぎるタレントがいます。試合が始まった瞬間、フットサルコートの真ん中からノーバンでネットに突き刺していた。絶対無理です」と。それが芯太でした。衝撃の出会いでしたね。谷口が戦う前から諦めていたのは、後にも先にもあの時だけです(苦笑)。それ以来、いろいろと縁もあって芯太がポルタの練習に来るようになりました。 ――幼稚園年代から、それだけ強いシュートを蹴るメカニズムを理解していたんですか? 羽毛:彼自身が強く蹴れるスキルをその頃から身につけていました。大人が芯太のシュートを受けても痛くて、しっかりキャッチしないと突き指しそうなぐらいでしたから。ポルタでは2歳上のチームに飛び級で試合に出ていましたが、1年生の時に同年代のフットサルの試合に出したら、キーパーの子がボールを取る時に痛くて泣いてしまったんです。ケガをさせてしまうリスクがあるので、どちらにしても同い年ではできないね、ということになりました。 ――西山くんは、何歳から何歳までポルタに所属していたのですか? 羽毛:幼稚園の時からスクール生としてちょこちょこ来ていたのですが、加入したのは1年生の後半で、それから1年3カ月間在籍していました。 ――その間、他の子どもたちが受けた刺激も相当大きかったのでは? 羽毛:そうですね。芯太と一緒にやっていたポルタの同年代の選手たちもJリーグのジュニアユースや強豪クラブに加入が決まっているのですが、芯太がどんどんステップアップして「エストレージャ・ダム」(以下:ダム)に入ったとか、「バルサに入った」というように基準を塗り替えてしまうので、みんなが「俺らももっとやらなきゃ」と。一緒にプレーした子たちは、上を目指そうという意識は明らかに高まりましたね。