「世界が自然派ワインに『やわらかさ』を求めている」ドメーヌ・タカヒコに聞いた、余市ワインが世界から注目される理由とは?
目指すのは持続可能な、日本らしいワイン。
曽我さんはブドウの粒を房から外すことなく、そのままプレスしてタンクに入れる「全房発酵」と呼ばれる伝統的な手法をとる。その理由も明快だ。 「ブドウを房から外していたらめんどくさいでしょう(笑)。しっかりと果梗まで熟していれば、青臭いにおいが出ることはなく、むしろワインにタンニンと複雑性を与えてくれます。畑でしっかりとブドウの様子を観察しながら世話をしているので、収穫後の選果もそんなに重要視していません。そして北海道は雪が積もるので、収穫をしたらすぐに剪定を行わなければブドウの樹が折れてしまう。剪定が終わった後、雪が降って畑作業ができない時にゆっくりとブドウを絞ってワイン造りを始めたらいいんです。私はほかの人が真似できない造り方はしたくない。できるだけシンプルに、周りの農家が誰でもワインを造れるような方法で無理なくワイン造りをしたいんです」 そんな曽我さんの思いは、確実に余市に根付き、花を咲かせている。曽我さんのワイン造りに惹かれ、研修生たちがドメーヌ・タカヒコの畑に集った。ドメーヌ・モン、ランセッカ、山田堂、ロウブロウ......。卒業生たちは余市に畑を持ち、それぞれが好きな品種でドメーヌ・タカヒコとはまた違った個性を表現している。現在は世界最年少マスターソムリエの高松亨さんも研修生に加わり、余市町地域おこし協力隊として現地に在住。高松さんもシャルドネに可能性を見いだし、自身のワインを追求し始めた。過疎化が進む登町にワインを志す人たちがどんどん集まり、曽我さんが移住した当初は8名だった地元の登小学校の在校生数が、現在は16名まで増加した。
近隣の農家の思想も変わりつつある。果樹栽培を手がけている農家は、余ったブドウをお土産用のブドウジュースとして出荷していることがほとんどだった。しかしジュースでは賞味期限が短いし、販売価格を上げることもできない。売れ残ってしまったものは廃棄処分にするしかないのが現状だ。ところがそれを醸造すれば保存できる期間は飛躍的に伸び、"農家手造りの余市産"と言う付加価値があるワインに早変わりする。ブドウの圧搾作業を請け負ってくれる醸造施設もあるので、発酵タンクとそれを置ける設備さえ用意すれば、ワイン造りで新たな商品開発をできる可能性もあるのだ。 「私の畑の隣で長年サクランボやリンゴを育てていた中井観光農園さんも、次世代を引き継ぐ中井瑞葵さんがドメーヌ・タカヒコに研修に来てくれ、2023年から地元農家出身としては初のワイナリー『ドメーヌ・ミズキ ナカイ』を設立しました。私は決して洗練されたトップクラスのワインを造ろうとは思わない。後に続く人たちが『余市のワインっていいな』と思ってワイン造りを継続し、その次世代の中から"余市のアンリ・ジャイエ"が産まれてくれればいいんです(笑)」(註:アンリ・ジャイエ......1980年台から2000年代初頭にかけ、ブルゴーニュでワイン造りに革命をもたらした"伝説の醸造家"。) 未来を見据えながら、その年、その年の畑とブドウに真摯に向き合うドメーヌ・タカヒコのワインには、まさに絶対無二にして、どこか日本人の郷愁さえ誘うような味わいがある。