向田邦子の名言「…これが私の料理のお稽古なのです。」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。1970年代には倉本聰、山田太一らとともに「シナリオライター御三家」の一角を担った脚本家で、直木賞を受賞した小説家、そしてエッセイストとしても知られる向田邦子。和食店を経営するほどの食いしん坊でもあった。その料理作法とは? 【フォトギャラリーを見る】 名人上手の創った味を覚え、盗み、記憶して、忘れないうちに自分で再現して見る――これが私の料理のお稽古なのです。 食にかける熱心さの半分を仕事に向けたらもう少しマシなものも書けるかもしれないと思う、とは脚本家・向田邦子の言葉。自他ともに認める食いしん坊でもあった。その遍歴を孔子のごとくこんな風にも綴っている。十代はただたくさん食べることが仕合わせで、二十代はステーキとうなぎでお腹を満たし、三十代ではフレンチと中華料理に憧れて、四十代では量より質と懐石料理に血道を上げた、と。 ドラマ『七人の孫』や『寺内貫太郎一家』の脚本を手掛けていた頃、78年には東京・赤坂に惣菜・酒の店〈ままや〉を妹とともに開店。オープン時の案内状によれば「蓮根のきんぴらや肉じゃがをおかずにいっぱい飲んで おしまいにひとロライスカレーで仕上げをする―ついでにお惣菜のお土産を持って帰れる」店だったという。 当然、料理にも凝っていて、その学び方をこう綴っている。「名人上手の創った味を覚え、盗み、記憶して、忘れないうちに自分で再現して見る――これが私の料理のお稽古なのです。」。食いしん坊だからこそなせる技だ。 その作法もユニークで「全身の力を抜き、右手を右のこめかみに軽く当てて目を閉じ(中略)全神経がビー玉ほどの大きさになって、右目の奥にスウッと集まるような気がすると、『この味は覚えたぞ』ということになります」という。 この方法で若竹煮や沢煮椀、醤油ドレッシングなどを体得したが、特別印象に残っているのはグラス・ド・ヴィアンド。パリで食べたペッパー・ステーキのソースだ。十数時間かけて再現したものの、お手伝いさんの勘違いで捨てられてしまい、以来作ることはなかった。この苦労のおかげでフレンチのソースは残さずパンで拭って食べるようになったというから、さすが食いしん坊だ。
むこうだ・くにこ
1929年、現在の東京都世田谷区若林生まれ。脚本家。記者を経て、脚本の世界に入る。脚本を手掛けたドラマに『七人の孫』(64年~)『寺内貫太郎一家』(74年)『阿修羅のごとく』(79年)など多数。78年に東京・赤坂で惣菜・酒の店「ままや」を開店(98年に閉店)。80年に短編連作「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」(『思い出トランプ』収録)で直木賞を受賞。81年に飛行機事故で急逝。
photo_Yuki Sonoyama text_Ryota Mukai illustration_Yoshifumi T...