フェニルケトン尿症 30歳になるまで唐揚げを口にできなかった女性…「『普通の食事』に罪悪感あった」
病気になっても~私の進む道
難病の「フェニルケトン尿症」は生まれつきの代謝異常で、この病気の人は8万人に1人の割合で生まれるとされる。食事でたんぱく質の摂取制限を求められるが、コントロールがうまくいかない状態が続くと、イライラする、抑うつ状態になるなど、精神的な不調に陥ることがある。 【写真】「フェニルケトン尿症」の小1女児が、学校に持参した弁当
給食の時間は嫌だった
東京都のもえさん(30)は、大きな缶に入った粉ミルクを自宅にそろえている。 フェニルケトン尿症の人は、たんぱく質に含まれる「フェニルアラニン」と呼ばれる必須アミノ酸を、別のアミノ酸「チロシン」に変える酵素の働きが生まれつき弱い。フェニルアラニンが体内に蓄積されると、精神的な不調を起こしやすくなる。そのため、たんぱく質が多い肉や魚、卵、乳製品は食べられない。主食となる米、パン、麺も、たんぱく質が多めであるため、「低たんぱく米」などの製品を取る。だが、それでは他のアミノ酸が不足してしまうため、フェニルアラニンを除去した治療用の粉ミルクを毎日一定量、飲まなければいけない。 もえさんは、小学校から高校まで弁当を持参して登校した。「給食があった小学校、中学校では周囲から注目を集めてしまい、給食の時間が本当に嫌でした」。中学1年の時、長野県で行われた林間学校に参加した際は、母親に作ってもらった食事を冷凍して、事前に宿泊施設に送ってもらった。 給食がなくなった高校以降は、プレッシャーから解放されたが、友人から菓子をもらったり外食に誘われたりする機会が増えた。「もらったお菓子のたんぱく質の量をその都度、確認するわけにはいかず、フェニルアラニンの数値の調整が難しい時もありました。夜に外食をしなければいけない日の朝と昼は、自宅で低たんぱく米しか食べなかったり、翌日の食事の量を減らしたりして、調整するようにしていました」と話す。
「負のループ」に陥ったことも
それでも、大学の後半から社会人1、2年目にかけては体調を崩し、フェニルアラニンのコントロールがうまくいかなくなった。怒りっぽくなったり、うつっぽくなったりし、「自分はダメな人間だ」と自己肯定感も下がった。 「いつもなら踏みとどまれるのに、(低たんぱく質ではない)普通のパンをあえて食べてしまうこともありました。その時は『やってしまった』と罪悪感があるのですが、気持ちのコントロールができなくなっていたため、また食べてしまうことを繰り返していました」。母親から指摘されてもイライラして言い返してしまい、元の食事に戻せない。「負のループ」に陥った。 社会人になってから、普段は通勤時に背負っているリュックサックを自宅に忘れたことがあった。最寄りの駅に着くまで気づかず、「この物忘れはさすがにまずい」と感じた。 その後、2~4週間、「教育入院」し、元の食事に戻そうと努めた。それができるようになり、フェニルアラニンの数値が改善すると、「それまで頭にかかっていた霧が晴れていくような感じがして、すっきりしました」。「自分はいろいろなことができる」といった自信も取り戻していったという。