布袋寅泰、hide、BUCK-TICK……アーティストに愛されたフェルナンデス 日本ロックシーンへの功績
布袋派か、hide派かーー。アバンギャルドでニューウェイヴなカッティングギターとクラシカルでメタリックな速弾き。比べようのないまったく異なるプレイスタイルだが、どっちがうまいとかこっちのほうがすごいとか、両ファンは答えの出ない論争を繰り広げていたものである。1990年代初頭、人気を二分したギターヒーロー2人が手にしていたのは、フェルナンデスのギターだった。 【画像】『バクチク現象-2023-』で“マイマイ”を構える今井寿 オーセンティックなシェイプを踏襲しながらも細部に近未来を感じさせたオリジナルギター、布袋寅泰モデル“TE-HT”とhideモデル“MG-X”にそれぞれ施された、布袋のシンボルともいうべき幾何学格子模様とhideのサイケデリックなペイント。しかしながら多くの者が手にしたのは無地の廉価モデルだった。そんな真っ黒なギターにペンキやポスカでペイントしまくり、hideのサイケペイントを忠実に描けるか競い合ったものである。 90年代のギター少年たちが憧れた日本を代表するギターメーカー、フェルナンデス(株式会社フェルナンデス)が2024年7月11日までに事業を停止、その後自己破産手続開始の申立を行う予定である旨を発表した。 布袋やhideを筆頭に、BUCK-TICKの今井寿と星野英彦、D’ERLANGERのCIPHERとSEELA、DIE IN CRIESの室姫深とTAKASHI、L’Arc~en~Cielのken、Janne Da Arcのyouとka-yu、シドのShinji……といった、ヴィジュアル系シーンに大きく影響を与えたプレイヤーをはじめ、HOUND DOGの西山毅、ZIGGYの松尾宗仁と戸城憲夫、LÄ-PPISCHの杉本恭一、JUDY AND MARYのTAKUYAと恩田快人……など、多くのバンドのギタリスト、ベーシストのシグネチャーモデルが生まれた。プレイヤビリティはもちろんのこと、ボディシェイプやカラーリングなど、細部までこだわり抜かれたフェルナンデスの奇抜なギターを見れば、そのアーティストの姿が思い浮かぶといっても過言ではない。アーティストモデルのブームを引き起こしたパイオニア的存在、それがフェルナンデスだ。 フェルナンデスは1969年2月、前身となる斉藤楽器を設立。1972年10月に社名を「株式会社フェルナンデス」に変更した。70年代から80年代にかけては海外ブランドのコピーモデルを中心に製造、大きく分けてフェンダー系を「フェルナンデス」、ギブソン系に「BURNY(バーニー)」というブランドを用いていた。この時代の国産メーカーによるコピーモデルは後年“ジャパンビンテージ”としてマニアの間で人気を得るが、フェルナンデスは高級モデルにおいて、漆とよく似たカシュー塗料を使用するなど、他メーカーとは一線を画す存在感を放っていた。 フェルナンデス初のアーティストモデルというべきものは1975年に発売された、当時キャロルの矢沢永吉のベース“FYB”、通称“琵琶ベース”である。矢沢本人が使用したのは1975年1月19日の両国日大講堂公演『ROCK'N ROLLOVER』から1975年4月13日、雨の日比谷野外音楽堂にて行われた『GOOD-BYE CAROL 解散コンサート』までの3カ月と、使用期間は短いが、その後はレギュラーモデルとしてラインナップされた。1981年をもって製造中止になるものの、1995年に“YB”として復活。hideが1996年に開催したツアー『PSYENCE A GO GO』でも琵琶ベースを使用するなど、人気が再燃した。そこから最後までカタログに掲載されるほど多くの人に愛され、長きにわたりフェルナンデスを代表したモデルになった。 ギターは、ジャパメタブームを受けて1984年に“FERNANDES HEAVY METAL VERSION”と銘打って発売されたVシェイプモデル“BSV”が人気を博した。同モデルは44MAGNUMのギタリスト 広瀬“JIMMY”さとしが愛用したことで一気に火がつき、本人仕様の真っ白なボディにゴールドパーツのBSVは通称“JIMMY V”と呼ばれ、アーティストモデルブームの先駆けになった。そこからフェルナンデスはバンドブーム、そしてヴィジュアル系ブームとともに、一時代を築いていくのである。 当時のフェルナンデス人気を象徴していたのは変則サイズで大判フルカラーのカタログだろう。高級輸入車メーカーのカタログを彷彿とさせる豪華仕様でその多くは100ページ以上に及んだ。美しいギターの写真に加えて撮り下ろしのアーティスト写真も素晴らしく、楽器を弾かないファンにも好評だった。これが無料なのだから、楽器店に並ぶと瞬く間になくなってしまったことは言うまでもない。 特に、一般社団法人 全国楽器協会が開催する『楽器フェア』での出展ブースの豪華さは群を抜いていた。イベントではモニター契約アーティストのトークショーなどが行われ、入場整理券を手に入れるべく毎度長蛇の列が作られていたものである。 アーティスト本人の要望をもとに開発されるシグネチャーモデルの存在は、ギター製作における技術躍進に大きく貢献した。その代表例はBUCK-TICKの今井寿モデルだろう。1989年12月の東京ドーム公演『バクチク現象』で登場したバイオリンモチーフの“BT-MM”、通称“マイマイ”のインパクトは凄まじかった。その中世ヨーロッパ的な独創的なデザインがもたらす気品と高貴さがヴィジュアル系ギタリストに広く受け入れられ、同モデルにインスパイアされたであろうシグネチャーモデルはメーカー問わず数多く存在している。そして、ヘッドとボディをネックの太さと同等のスタビライザーで繫いだ流線型シェイプの“STABILIZER”は、ギターデザインにおける大革命であった。そのほか、ギターシンセやテルミンをギターに内蔵するなど、当時としてはあまりにも斬新な発想で既成概念を打ち破った。