日本人は「12歳の少年」だとバカにされてきた…いまこそ日本が「前を向くべき理由」
「12歳の少年」と馬鹿にされた日本人
山岡:日本の敗戦に関して言うと、原爆や空襲で本土を焼け野原にされたという物理的な敗北もさることながら、精神的な敗北も非常に大きいものでした。それを象徴するエピソードとして、大真面目に「マッカーサー神社」を建てようとしていたという話があります。 山上:東郷神社、乃木神社に加えてマッカーサー神社ね(笑)。ちなみに私は、環状2号線を「マッカーサー通り」とタクシーの運転手さんが呼ぶたびに窘(たしな)めています(笑)。 山岡:ちなみに、「マッカーサー神社」というのは当時計画されていた「マッカーサー記念館」という施設の俗称であって、いわゆる日本の神社のような宗教的なものではないという話もありますが、そんな些細なことは問題の本質ではありません。神社であれ、記念館であれ、敗戦直後の日本人がマッカーサーを崇拝してしまうほど精神的に敗北していたことが問題です。 山岡:マッカーサー神社を計画していた日本人たちは、GHQの許可を取って、場所まで決めていたそうですが(三宅坂の参謀本部跡)、そうこうしているうちにマッカーサーがトルーマン大統領に罷免されて、朝鮮戦争中にアメリカに帰国することになりました。 帰国後、マッカーサーはアメリカ議会で演説し、そこで有名な「日本人は12歳」発言をします。 「私の日本統治は歴史上稀に見る大成功だった。他にはジュリアス・シーザーぐらいしか敵国の統治に成功した例がない。一度民主主義を享受した日本がアメリカ側の陣営から出ていくことはない」 と自慢するマッカーサーに、ロング上院議員が 「あなたはそう言うが、ドイツも第一次大戦後、ワイマール憲法で非常に民主的な体制になった。しかし、その後、ヒトラーに熱狂したという事実がある。日本人もそうならないとは限らないのではないか」 という主旨の質問をしました。 すると、マッカーサーは 「ドイツと日本とでは全然違う。ドイツ人は文明の発展過程を考えると、我々と同じ45歳くらいの年齢に達している成熟した人種だ。だが日本人は、アメリカ人だったら赤ん坊でも知っている民主主義を教えてもらって喜んでいる最中であり、12歳の少年のようなものだ」 という主旨の答えを返したのです。 山岡:アメリカ人の感覚で言うと、12歳というのはつまり、反抗期にも入っていない少年少女、ティーンエイジャーにもなっていない段階の精神成熟度合いです。要するに、ドイツ人は分別のある大人として、自分たちの損得勘定を熟考したうえで、国際秩序に逆らって戦争を行ったのに対して、日本人は分別のない状態で戦争を行った。その子供をしっかりと俺がしつけてきたからもう大丈夫。日本人が元に戻ることはない、というわけです。 山上:屈辱的ですね。大日本国帝国憲法のもとで、大正デモクラシーなど一定の民主主義が自発的に根付いていた日本の歴史への無知と日本人の民度への軽侮を示すものでもあります。 山岡:この「日本人は12歳」発言が日本に伝わると、日本人のマッカーサー熱も一気に冷めてしまい、マッカーサー神社の話も消え去りました。それでも首相の吉田茂は「マッカーサー元帥は日本が民主主義の過程においては未熟だから指導していると言っているのであって、日本人全体を貶めていたわけではない」と必死に弁護しますが、さすがにそこまで馬鹿にされると吉田の詭弁は通用しませんでした。 * さらに【つづき】「日本はなぜ中国にナメられるのか…? 「弱腰」すぎる日本の外務省の「驚くべき態度」」の記事でも、二人の対話を追っていきます。
山上 信吾、山岡 鉄秀