FIREのためにすべてを犠牲にした父は、その生活を楽しむ前にこの世を去った。私は誰にも早期退職を勧めない(海外)
本記事の筆者であるレベカ・サンダーリン氏の父親は、何十年もの期間を質素に暮らし、節約に努め、懸命に働いた。 【全画像をみる】FIREのためにすべてを犠牲にした父は、その生活を楽しむ前にこの世を去った。私は誰にも早期退職を勧めない 50歳で早期退職したが、その後も、サンダーリン氏の言葉を借りるなら、「修道院のように質素な牢獄」で暮らし、58歳で亡くなった。 サンダーリン氏は倹約という点では父親の性格をある程度引き継いでいるが、それでも誰も早期退職すべきではないと考えている。 父はとても倹約家で、ほとんど失敗だったと言えるが、私たち兄妹にも倹約をたたき込もうとしていた。 私が6歳だったとき、父はふた付きの小さなバスケットをくれた。そこに歯磨きや家事の手伝いで得た小遣いをためろ、という意味だ。バスケットがいっぱいになったとき、父はそれをそっくりそのまま預金口座に入れた。私はがっかりした。両親からいつも言われていた言葉を盾に、こう反論した。「もう貯金したじゃない! 次は使う番よ!」
父は質素に暮らした
必死に働いてお金をためる、それだけが本当の幸せへつながる道だと、私たち兄妹は言い聞かせられた。実際、両親はそんな暮らしを実践していた。父はほぼずっと同じソーセージ会社で働き続けた。15歳でその会社で駐車場の清掃係として働き始め、30代前半には工場におけるすべての業務の責任者になっていた。 その会社が売却されたとき、働いていた工場が閉鎖されたため、父は(このときすでに母と離婚していた)新しい工場を運営するために6時間離れた場所に引っ越した。父にとっては、新しい会社でやり直すよりも、ひとりで新しい土地へ移るほうが簡単に思えたのだ。 父は2週間に1回、私たち兄妹に会いに来た。倹約しながらも楽しむ方法を見つける名人で、いつも惜しみなく私たちのために時間を使い、関心を向けてくれた。 会えた土曜日の昼食はだいたいサムズ・クラブという店へ行き、そこで父は私たちに無料サンプルを全部試してみるよう勧めた。そのあと、固くなったパンをもって公園へ行ってアヒルに餌をやったり、ダウンタウンのビルに行って、午後ずっとエレベーターで上がったり下がったりした。航空ショーや無料コンサートにも行ったし、1ドルショップで安いキャンディーをたくさん買って、99セント映画館で映画も見た。