FIREのためにすべてを犠牲にした父は、その生活を楽しむ前にこの世を去った。私は誰にも早期退職を勧めない(海外)
早期退職して本当の人生を始めるのを心待ちにしていた
父はさまざまな方法で倹約した。何を買うときも価格を比較したし、いつも店舗のプライベートブランド(PB)製品を買った。食品業界で数十年を過ごしてきた父は、多くの場合でPB製品も、有名ブランド製品を作っているのと同じメーカーが製造していると説明した。新車を買ったことはない。いつも中古車で、経済的な意味で利点がなくなるまで同じ車に乗り続けた。 ある車では天井の内張りが剥がれてきて、バックミラーが見なくなったのだが、父はたくさんのカラフルな画鋲でセダンの天井を固定した。父が運転しているあいだ、私はまるでそれがおもちゃであるかのように、画鋲で絵を描いたものだ。 資金のないティーンエイジャーや大学生、あるいは貧しく暮らしている人なら、それが完璧な解決策だったのかもしれないが、父は町で最大の雇用主のもとで管理職として働いていたのである。新車を、あるいは少なくとももっと新しい中古車を買えたはずだし、それどころか、ローンを組まずに現金で買うこともできたはずだ。 しかし、父は早期退職する計画を捨てなかった。仕事のある生活を終えたくて仕方がなかったのだ。父にとって仕事とは、退職して本当の人生を始める準備が整うまでする何かだった。給料日のたびに、その目標に近づいていった。
さらにつつましくなった暮らし
45歳のとき、父は解雇された。それほど早く引退する計画ではなかったので、父は新しい仕事を探そうとしたが、数年間の就職活動、そしていくつかの気に入らない仕事を経験したのち、自分の通帳を見て、それ以上働く必要がないことに気づいた。父は50歳で引退し、自分のやりたいことをする時間がもてるようになった。 だが問題は、余った時間を使って何がしたいのかを見つけることにあった。このままでは、何もしないまま何週間も過ぎていくだろう。父には仕事をやめたあとも興味をもち続けられるような対象が何もなかった。 それどころか、父の退職後の資金はとても厳しく、何か新しいことを試す余裕すらなかった。あるとき説明してくれたのだが、住居、光熱費、自動車、食料などすべてひっくるめて、月間支出額はわずか900ドル(約13万5000円、1ドル=150円換算:以下同)だったそうだ。父の両親はどちらも90代まで長生きしていたので、余生のために節約してきた父も、自分の貯金で生涯暮らしていけるのか不安だったのだ。 私たち兄妹とも外食するのは避けるようになった。単純に、レストランは予算オーバーだったからだ。自分のためだけなら支払えるが、私たちに支払わせるのはプライドが許さなかった。父の生活はさらにつつましくなった──まさに修道院のように質素な牢獄だった。 いちばんの問題は、父の予算では健康保険が支払えなかったことだ。これは医療保険制度改革が行われる前の話で、当時の父が調べたところ、健康保険に加入すると、月に1200ドル(約18万円)以上かかることがわかり、彼にとってそれほどの高額は正当化できないものだった。高齢者向け医療保険制度の恩恵を得られる年齢になるまで、健康に問題は生じないだろうと自分に言い聞かせていたのだが、それが間違いだった。