齊藤工×竹林亮 劇場公開のみの映画「大きな家」 「普通」が重なり合って、自分の物語になっていく感覚を感じてほしい
――「出演者のプライバシーを守る」という使命もあると思うが 齊藤 そうですね。そういう意味では僕らとしても、上映後も、ずっと被写体を守っていくという思いです。そのあたり、当初からお互い懸念しているものは一緒だと思います。ただ、僕が今回「大きな家」を企画するきっかけの一つが、施設にいる子どもたちが、何か公のものになるときに、必ず目線が入ったりモザイクが入ったりすることへの違和感なんです。 齊藤 もちろんそれは、彼ら彼女たちを「守るため」でもあるんですが、ある時に職員の方から「同時に、それを見た子どもたちが、みんながみんな、『守ってもらっている』と思うわけではなく、『自分は自分の存在を ぼかされる存在なんだ』と思っている子も、中にはいるんです」と伺ったんです。 齊藤 だから映画になるということに、(プライバシーに対する懸念だけでなく)すごく前向きな意見も多かったですし、実際、劇中の子どもたちもすごく輝いてて、「知ってほしい」、「観てほしい」という子どもたちの思いが、みんながみんな、そうではないですけれど、今回の作品の「光」となってくれていたので、これは必然だったのかもしれないと 今は思っています。 ――映画のみの公開で、DVD化等をしない…となると、プロデューサーとしては、興行収入的な問題もあると思うが 齊藤 そうですね、数ある作品の中で こういう作品があってもいいんじゃないかな…と。「14歳の栞」という作品があったからこそ生まれた作品ではあるんですが、なんていうんですかね…作り手の「純度」みたいな…「思いやり」が詰まった作品。 齊藤 「思いやり」って、やっぱりアウトプットの時に 映画だとすごく出るんですよね。ただただ公開して終わり…じゃなくて、「手渡し」のように、時間が経っても、賞味期限を設けずに「手渡し」のように届けていく映画って、実はたくさんあるんですよ。フィクション・ノンフィクション問わず… この作品は、「手渡し」のように届けていく。その分、劇場さんと観客の方に協力してもらって、一緒にシェルターになって、この映画を育てていく守っていく、より参加型の劇場映画。 齊藤 この配信全盛の時代に「情報のシェルター」になるのが、実は映画館なんだ…。というふうに新たな劇場の意味合いも含めて、この作品がまだ見ぬ作品の、一つの目印になったら良いなと思っています。