父との確執、母の病死、自殺未遂――ルイーズ・ブルジョワの「地獄」とは。森美術館の個展から知る
20世紀を代表するアーティストであるルイーズ・ブルジョワ。2010年、98歳でその人生の幕を閉じるまで、家族との関係や「母性」、父との確執などをテーマに作品をつくり続けた。 【画像】会場の模様 森美術館(六本木)で、9月25日に開幕した『ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』では、約100点の作品が展示され、彼女の軌跡を辿ることができる。 2度の世界大戦、大切な人との死別、うつ病など、度重なる逆境を生き抜き、まさに「地獄」をくぐってきたブルジョワ。その生涯とは、どんなものだったのだろう? 同展をもとに、ブルジョワの生涯について、ほんの一部をまとめてみたい。
パリでの幼少期
1911年12月25日、フランス・パリに生まれたルイーズ・ブルジョワ。両親はパリのサンジェルマン大通りで、タペストリーの販売店兼修復工房を営んでおり、ブルジョワは3人きょうだい(姉1人、弟1人)の次女だった。庭付きの広い屋敷で暮らし、裕福な生活を送っていたという。まもなく1914年には第一次世界対戦が始まり、従軍した伯父が戦死している。 彼女の父親は、家族に対してひどく横暴だったという。伝統的な家族観を持って支配的に振る舞い、例えば女性として生まれたブルジョワに、世継ぎとして役に立たないというような言動を繰り返すなどしていた。そのうえ、彼はブルジョワらのために雇われた家庭教師と不倫関係にあり、母親をはじめブルジョワらきょうだいもそのことに気が付いていたのだという。 ブルジョワの母親は1932年、ブルジョワが20歳のときに死去する。母親は1918年にスペイン風邪と思われる病気にかかってから長く患っており、ブルジョワはその介護を続けていた。ちなみに、1922~32年は母の療養のために冬季は南仏に滞在し、そこでブルジョワはピエール・ボナールと出会い、親交を深めたという。 この複雑な家庭環境で、幼いブルジョワは見捨てられた、裏切られたというトラウマが植え付けられてしまった。それは母の死によってより深いものとなり、のちの作品に昇華されていく。 そして、ブルジョワは母の死から川で自殺を図るも、父親によって助けられる。 同年、ソルボンヌ大学数学科に入学し、学びはじめるがまもなく断念。その後、パリ国立高等美術学校、エコール・デュ・ルーヴル、アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールで学びながら、フェルナン・レジェに師事した。 このころ、父が営むタペストリー店の一角に小さな画廊を開き、そこでのちの夫となるアメリカ人美術史家、ロバート・ゴールドウォーターと出会う。ふたりは1938年9月に結婚し、ブルジョワは10月にはニューヨークへ移住した。