父との確執、母の病死、自殺未遂――ルイーズ・ブルジョワの「地獄」とは。森美術館の個展から知る
ニューヨーク時代~晩年
1939年には孤児を養子として迎え、1940年に出産。さらに翌年1941年、息子を出産している。3人の子どもは、全員が男児だった。 しかし、ナチス占領下のフランスに家族を残してニューヨークに移住した罪悪感や不安に苛まれるようになるブルジョワ。このころに制作した作品は、フランスの思い出に基づくものがほとんどなのだという。1945年、ニューヨークのギャラリーで初めての個展『ルイーズ・ブルジョワ絵画展』を開く。 父親は1948年5月~7月、生涯にただ一度、ニューヨークを訪れている。その際ブルジョワとふたりで、カナダまで自動車で長旅をしたという。そして1951年、父が死去。その後、ブルジョワは重いうつ状態となり、治療を受け始めた。 1953年、個展『ルイーズ・ブルジョワ:彫刻のための素描と彫刻』が開催されるも、そのあと約10年間、新作の個展が開かれることはなかった。 1964年、ニューヨークのギャラリーがブルジョワの個展を開く。 ブルジョワ自身はフェミニスト・アーティストを名乗ることはなかったというが、1970年ごろから、フェミニズム運動に関わり始め、展覧会をはじめ慈善活動、抗議デモに参加している。 1973年、夫のロバート・ゴールドウォーターが65歳で死去。ブルジョワ62歳のときだった。 その後も個展などで作品発表を続け、1982年、ニューヨーク近代美術館で『ルイーズ・ブルジョワ:回顧展』が開かれ、その後もシカゴ現代美術館などを巡回。ニューヨーク近代美術館が女性彫刻家の回顧展を初めて催したことで、ブルジョワへの注目を集めることとなった。 さらに1989年には初めてのヨーロッパでの個展、1993年には『ヴェネチア・ビエンナーレ』のアメリカ館の代表となる。その後、1995年にパリ・ポンピドゥセンター、1997年に横浜美術館、2000年にロンドンのテート・モダンなどで個展を開催した。クモのモチーフで繰り返し作品を制作したのは1990年半ばから2000年代後半ごろ。 晩年まで作品制作を続け、ブルジョワは2010年5月31日、ニューヨークにて死去。98歳だった。没後も世界中の美術館で個展が開かれている。
テキスト・撮影 by 今川彩香