70代おひとりさま女性が、年金で暮らせる「町」がある。リーズナブルなサ高住、自立期から看取りまで
◆那須まちづくり広場の歴史 もともと、近山さんは40年ほど、高齢者住宅のプロデュースに取り組んで来ました。近山さん、佐々木さんと、那須まちづくり広場の広報担当の櫛引順子さん(73)の3人は、この半世紀、仕事や女性運動の活動を共にしてきました。3人は同じ会社で働き、1990年代からは、女性解放運動家の故・小西綾さんと元法政大教授の故・駒尺喜美さんが構想した「友だち村」の実現に協力しました。 「友だち村」構想は、那須まちづくり広場のコンセプトに通じます。血縁ではなく、世代も属性も性別も多様な人たちが一緒に暮らす「村」のようなコミュニティーを作るというもの。高齢者用住宅は、その「村」の中核となる建物です。「友だち村」は2002年に静岡県・伊豆で高齢者住宅を開設し、小西さんと駒尺さんは移住しました。ですが、2003年小西さんが、2007年に駒尺さんが他界。共同体を作る構想は道半ばで止まってしまいました。 そこで近山さんは自分たちの「終の住処」を作ることにしました。最初は北海道や沖縄など、みなが老後に住みたい人気の地方都市も考えたそう。でも結局、遠すぎて現実的じゃないと断念。そんな時、縁あって那須町と出会い、この土地の魅力を感じたと言います。 「まず新幹線で東京から1時間と近い。観光客が年間500万人も来る観光地なので、もともと、よそ者が多い。実際、町民2万5000人のうち半数近くが、外から移住してきた『よそ者』。別荘地なこともあって、住民にアーティストが多い」。アーティストが多い利点は、町に必要なアートを提供してくれるからです。近山さんたちは高齢者向け住宅「ゆいま~る那須」を2010年に開設し、3人とも入居しました。その後、町が旧朝日小の跡地の再生案を募集すると聞き、「多世代型共生コミュニティー」の企画で応募。近山さんたちの「那須まちづくり広場」案が通りました。 「那須まちづくり広場」は2018年、カフェとマルシェのある小さな交流拠点から始まりました。最初は4000万円の手持ち資金で、校舎に最低限の改修を施しただけ。全体では、校舎やプールの大改修から平屋のサ高住の新規建設まで、総事業費10億円近い大規模再生プロジェクトでした。幸い国交省の「人生100年時代を支える住まい環境整備モデル事業」から補助金が出ることに。改修費の3分の2にあたる2億3000万円を補助金で賄い、残りは金融機関や個人から融資を受けました。 20年に国交省の地域づくり表彰事業の「小さな拠点部門」で国土交通大臣賞を、22年には総務省の「ふるさとづくり大賞」の団体表彰を、それぞれ受賞しました。「町」は22年に本格オープン、23年にサ高住「ひろばの家・那須1」の1期工事分が完成、入居・運営が始まりました。
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