レースクイーン、グラドル、女優、そして「書道家」。おしの沙羅が駆け抜けた激動の20代を振り返る「揉みに揉まれた10年って感じです」
■グラビアデビューには抵抗があった ――でも、そこから所属が決まって。レースクイーンになってからは複数のチームを担当していましたし、順調だったイメージがあります。 おしの いえ、全然でした。いざなってみたらモデルみたいな細いコばかりだし、「私は求められてない」と思うことばかりでした。傘を差してクルマの隣に立っているだけの仕事だと思ってしまってましたが、レースクイーンは人気投票まであったんですよ。 ――グループアイドルみたいですね。 おしの 日々競争で驚きました。それもレースクイーンになってから知って。でも、競争があるからには上に行きたいじゃないですか。 ――そこはやる気になるんですね。 おしの それで大学中のパソコンから投票したり、友だちに頼んだり、一年中サーキットで自分のプロフィールを書いたチラシを配ったりしました。 ――すごい! そんな地道な努力があったとは。 おしの でも、レースクイーンとして結果が出るようになったのは、結局グラビアを始めてからでした。最初は抵抗があったんですよ。学校にも通っていたし、そもそも自分はメディアに出るなんて想像つかないと思っていて。「自分には無理です」と言っていたんですけど、なにか変わるのかなとも段々思えてきて、とりあえず一度DVDを出してみて、それがなぜか評価してもらってって感じでした。――グラビアの反響はどうでした? おしの 学校で声をかけられたりするようになりました。でも、当時はその状況に自分自身がついていけてませんでした。自分の中に柱がない状態でやってしまっていたので、グラビアアイドルとしてこうなりたいっていうのがなかったんです。でも、事務所ではレースクイーンを辞めてグラビアに集中しようとなりました。 熱心に勧めてもらって、「こんなに自分を求めてもらうこともなかったし、頑張ってみよう」となりました。それからはとにかく与えられた仕事を必死でやりました。レースクイーンの人気投票と一緒ですよね。やるって決めたら本気でやりたいタイプではあります。 ■30代は、しなやかに ――でも、これっていう目標がないままでは、いつまでも走りきれないですよね。 おしの だから25歳になって、グラビアアイドルとして5年くらいやっていて、「自分にはもうこれ以上できることはない」と思ったんですよ。写真集もDVDも、週プレさんの表紙も3回やらせてもらった。「これから先はゆっくりと落ちていくだけじゃない?」と感じて。 歳を重ねると下のコも出てきますよね。もちろん、30代で現役の方もいて、それはとても尊敬します。だけど私にはそのままやり続けることができなかった。そして、ちょうど同時期に俳優業に惹かれたことで、今辞めるべきだと思い、スパッと辞めたというわけです。 ――グラビアをやりながら女優も、という考えはなかった? おしの グラビアを頑張ってきたからこそ中途半端にやることができなかったんです。読者の方に対しても、お世話になった方々に対しても、そういう気持ちでやるのは申し訳ないと思いました。