レースクイーン、グラドル、女優、そして「書道家」。おしの沙羅が駆け抜けた激動の20代を振り返る「揉みに揉まれた10年って感じです」
■面接のときに笑われました ――12月3日から書道家として4回目の個展「讃-SAN-」も開催されます。今回のテーマは? おしの タイトルの「讃-SAN-」は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という本にちなんでいます。明るいものに価値を見出す西洋に対して、暗いもの(陰翳)の美しさを称える日本の特徴について書いた本ですけど、そういう和の文化の魅力が書道の魅力でもあると思い選びました。 ――そして11月13日から公演開始の舞台『何も変わらない今日という日の始まりに』で主演も務められます。こちらはどういう作品ですか? おしの 私が演じるのは不老不死を研究する研究所の所長で、海に囲まれた島で研究者と被験者が共に暮らしています。そういう環境で展開する劇なので、複雑に心情が入り組み、生や死について考えさせられる内容になっています。 ――そういったシリアスな作品の出演と個展の準備を両立させるのは大変では? おしの 最近は慣れてきました。それに今はフリーだから自分で予定を組める立場というのもあって、演技に集中する期間はそれだけを考えられるようにしたり、どっちもちょこちょこやるっていう感じにはならないようにしています。 ――そもそも女優を目指し始めたのはグラビアアイドルだった24歳のときだったそうですが、グラビアアイドルをきっぱり卒業したほど惹かれた理由はどこにあったのでしょう? おしの 24歳で初めてドラマに出演させていただいたときに、突然の機会に右も左もまったくわからなくて、なんて難しいんだろうって思いました。でも、演技そのものにはすごくやりがいを感じたんですよね。 子どもの頃は書道以外にも習い事をいっぱいさせてもらって、その中でもクラシックバレエを頑張っていました。バレエ中心の生活で、物心ついた頃から将来はバレリーナになりたいと思っていたんです。自分を表現するっていうよりかは、舞台作品の一部になれることにとてもやりがいを感じて。コンクールにも出たり、12年間ほど習いました。 私は自分自身を出すのは昔からあまり得意ではなかったっていうか、そもそも誰かに自分をわかってもらいたいという欲求もそこまでないのかもしれません。それよりも作品として見てもらえたほうが嬉しい。だから書道も好きなんです。 初めてドラマに出たときに、自分がバレリーナを目指したときと同じような気持ちになれたんです。「これがやりたい」と思えた。それぐらい俳優業には胸がときめいたんです。 ――しかし、「自分を表現するのが得意じゃない」と言う人が、どうしてレースクイーンとしてデビューして、グラビアアイドルまでやっていたのかと思うんですよね。 おしの 中学2年生くらいでバレリーナになることを諦めたときに、心がポキッと折れてしまって。希望がなくなっちゃったんです。そうしたら急に全部頑張れなくなってしまって、必死にやっていた習い事も、塾や学校の勉強も、やらなくなっていきました。 で、それまで習い事づくしだったのに、そこからいろんなところに行っていろんな遊びをするような日々に変わるんです。レースクイーンになりたいと思ったのも、「やったことのないことをやってみたい」という中のひとつって感じでした。 それが大学生のときだったんですけど、芸能界のことが何もわからないから、とりあえずネットで見つけた事務所に写真を送って。実家の台所で撮った写真ですよ。しかも直立不動(笑)。 ――ポージングすら知らなかった。 おしの 面接のときに笑われました。こんな写真を送ってくるコはいないって。