男女の密会に聞き耳をたてる隣室の女房…優雅に見えてスキャンダル渦巻く平安貴族の生活
芸能人の恋愛や政治家の不倫問題などが世間を騒がしている現代。著名人の男女関係はいつの世も注目を集めるものであり、平安時代においても貴族たちの恋愛事情は関心を向けられていた。平安文学研究者・山本淳子氏の著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、その様子を紹介する。 【写真】紫式部の絵をもっと見る * * * ■秘密が筒抜けの豪邸…寝殿造 高級ホテルの大宴会場で日常生活を送る。いわばそれが、寝殿造(しんでんづくり)様式の豪邸での平安貴族たちの毎日だ。 例えば「年中行事絵巻(ねんじゅうぎょうじえまき)」に描かれる邸宅「東三条殿(ひがしさんじょうどの)」。藤原兼家(かねいえ)やその息子・藤原道長も住んだ藤原氏長者歴代の豪邸だが、その中心部分である母屋(もや)はワンルームだ。広さは、この寝殿の場合で南北約六メートル、東西十八メートル。母屋を取り巻く廂(ひさし)の間は、東・南・西側は幅三メートル、北側は孫廂(まごびさし)も合わせて幅六メートル。合わせれば南北十五メートル、東西二十四メートルと、体育館級の面積になる。そのスペースの間仕切りを取り払って、大臣任官を祝ったり正月ごとに客を招いたりの大宴会「大饗(だいきょう)」が華やかに催された。宴会時には外との仕切りである「蔀戸(しとみど)」を開け放つ。御簾(みす)を通して、庭の池に浮かべた竜頭鷁首(りょうとうげきしゅ)の船の雅楽(ががく)隊が奏でる音楽が、寝殿の中に流れ込む。こうした、行事中心の絢爛たる貴族生活のために欠かせない装置が、寝殿造の豪邸だった。
とはいえこのワンルーム、宴会にはぴったりだが毎日の生活には広すぎる。そこで普段は、主人は母屋、女房は廂の間など居場所を分け、間を仕切って暮らすことになる。想像してみてほしい。大宴会場を模様替えして個室ホテルに仕立てた部屋。しかしその間仕切りは、近づけば向こうが透けて見える御簾(みす)、現代の布製カーテンにあたる「壁代(かべしろ)」、最も分厚い間仕切りでも、せいぜいが襖障子(ふすましょうじ)だ。プライバシーをめぐる攻防戦がここから始まる。室内に几帳(きちょう)や屏風を立て、姿を見られたくない女主人や女房はその陰に隠れる。いっぽう男たちは、妻戸(つまど)の背後や御簾の隙間から目を凝らす。なかには恋に胸をときめかせ、忍びこむ好機をうかがう者たちもいるのだ。夜になって蔀戸を下ろすや、外界の光が遮断され闇の世界になってしまうことも、秘密の攻防に拍車をかける。 ところで、女房たちはこうした空間に局(つぼね)を与えられ、主人たちと共に暮らした。多くの場合は、母屋を取り囲む廂の間を御簾などで仕切って局とした。縦横約三メートル、六畳弱の広さだ。恋人を招き入れることもある。その逢瀬に聞き耳をたてる隣室の女房もいる。清少納言は『枕草子』の「心にくきもの(いい感じのもの)」の中に、寝殿内で聞く物音を挙げた。夜中にふと目を覚まし、耳をそばだてると、女房が男と話している。内容は聞き取れないが、忍びやかに笑う気配。ああ、何を言っているか知りたい……。別の段「嬉しきもの」には「人の破り捨てた手紙を継いで見たら、何行もつながって読めたのが嬉しい」などとも記されている。文面からは、清少納言のじれったい気分、思わずほころぶ笑顔が浮かぶ。