「60歳までは仕事がある人生を送りたい」…フリーのネット編集者が会議で“何もしない人”を見て思うこと
何もしない人
先日、51歳の誕生日を迎え、ホッとした。といっても「なんとかここまで生きられた」ことにではない。「ここまで仕事はあったし、これから数年も多分大丈夫だろう」ということを、これまでを振り返り、現状を見回した上で、再認識できたというわけだ。フリーランスの身のため、仕事がいつ潰えるのかは分からない。そんな中、51歳の現在まで、継続的に仕事をいただけていることに、心底安心した次第である。 【公開】フリーランス編集者・中川氏の“いかにもな”仕事場の様子
もっとも、会社にお勤めの方々も、私と同じような感覚を抱いているのではなかろうか。大企業の場合、40代中盤で閑職に追いやられるのは珍しいことではない。彼らは「なんとか60歳の定年まで、いや、65歳の定年延長まで私を会社に残してくれ」と考える。その一方、若手と出世した40・50代社員が忙しそうにしている様子を見ては敗北感を抱く。 私はこれまで、様々な会社と付き合ってきたが、閑職に追いやられたであろう社員を何度も目の当たりにしてきた。彼らは大抵、明らかにそこにいる必要がないのに、会議に出席している。年甲斐もなくおどおどした風情で、基本的に無言。会議終了後、主催した管理職の人に「あの方はずっと黙ってその場にいるだけでしたが、何の役割なのですか?」と聞くとこう返された。 「もう社内では見離された人物なのですが、クビにすることもできないし、今後の活躍も見込めないのですが、時々こうやって会議に参加してもらうのです。もちろん何かの役に立つわけではありません。あくまでもあの方が存在意義を感じるように気を遣っているだけです。別にあの人のことをあなたが気にする必要はありません。『何もしない人』なのです」
最低限の責務
実に残酷な発言である。そのベテラン社員は会社にとっては一切役に立たないものの、温情で残しており、彼があまりにもヒマ過ぎるのもかわいそうだからと、取り敢えず会議には参加させている、と言っているのである。 無論、一定の余裕がある会社ならではの話ではあるが、私はこの人物の姿に、自分を重ね合わせることがある。とにかく60歳まではなんとか仕事がある人生を送りたい――そのように考えるのだ。58歳~60歳までは年収240万円でもいい。とにかく仕事があってほしい、と。だからこそ、この度51歳の誕生日を迎え、「あと9年耐えればなんとか社会人として最低限の責務は果たせた、と思えるはず」と考えるようになった。 私は27歳でフリーランスになったが、この24年間、本当にいつ仕事がなくなるのかといった不安を抱え、本心では「さっさと82歳ぐらいになってくれ、そして、願わくばお迎えが早くきてほしい」と考えることが多くなったのである。