ジミー・ペイジを完コピした男、ジミー桜井とは何者なのか サラリーマンが本人に認められ…激変した人生
ドキュメンタリー映画が10日公開
伝説的ロックバンド・レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジ(80)のプレーを完全コピーして、世界を沸かせ、ペイジが認めた日本人がいる。ジミー桜井(61)だ。そんな桜井の生き様を3年半にわたり追った映画『MR.JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男』(1月10日、東京・新宿シネマカリテほか)が順次全国公開される。桜井が、ペイジ本人との運命的な出会いを明かした。(取材・文=平辻哲也) 【写真】完コピで人生激変 ジミー・ペイジとジミー桜井の2ショット 桜井は新潟県十日町市出身の61歳。17歳の時にレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジに深い影響を受け、トリビュートバンド「LAYLA」を結成。1994年からは東京でバンド「MR.JIMMY」を結成し、ペイジのプレイを精密に再現する活動を続けている。 「レッド・ツェッペリンのライブを生で体験したことはありません。ですが、音源や映像、そして実際にツェッペリンが立ったステージに立ち、そこで感じた空気や視点を想像の中で膨らませています。それが、当時のライブを再現する上で大きなヒントとなっています」 その情熱とスキルは世界のツェッペリンマニアの間で評判となり、桜井に注目した米人気トリビュートバンドから参加要請を受けた同じ頃、アメリカ人映画監督ピーター・マイケル・ダウドの目に止まった。ドキュメンタリー映画は、渡米直後から3年半、桜井を追い続けたものだ。 転機は、当時、楽器販売会社の営業部長だった49歳の時。2012年10月12日、東京での「MR.JIMMY」のライブにペイジ本人が訪れた。 「『MR.JIMMY』は、90年代の終わりから東京・原宿のライブハウス、クロコダイルを中心に定期的にライブを行っていました。その中で、ペイジさんの日本のプロモーターが観客として来てくださり、応援をいただいていたのです。ペイジさんは何度か来日していましたが、一度も直接お会いできていなかったため、今回も難しいだろうと半ば諦めていました。ところが、ペイジさんが来てくれるかもしれないという話を聞いて、バンド仲間と調整して月曜日の夜に小さなライブを企画しました」 急きょ実施したトリビュート・ライブは先着50人限定。ペイジ本人が来場する可能性についてはシークレットだった。演目は1973年のライブの再現だ。 「本当に来てくださるかどうかは、最後の最後まで分かりませんでした。その日、ペイジさんが来日して間もないこともあり、疲れているだろうと思っていましたから。僕は普段通り、朝から営業に出かけましたが、プロモーターから『ペイジさんがライブを見たいといっている』という連絡があり、仕事を切り上げて準備しました。そしてライブが始まる頃、本当にいらっしゃったのです。会場の誰もが驚きましたが、一番驚いたのは僕自身でした」 ペイジは2時間近くのライブで演奏されたすべての曲を熱心に聴いてくれた。 「その集中力と真剣さに、圧倒されました。印象的だったのは、彼が僕の演奏を聴きながら、自らの73年の演奏を思い起こし、机を軽く叩きながら当時のリズムを再現していたことです。その姿に、彼が僕たちの音楽を心から楽しみ、過去の思い出とリンクさせていることを感じました。終わってから、彼は『これはまさに自分たちが73年にやっていたことだ』と語りました。この言葉は僕にとって何よりも嬉しいものでした」 この直後、かねてから決まっていたロサンゼルスへ。これはツェッペリン・トリビュート・バンド「Led Zepagain」メンバー入りを前提としたショーケースライブへの参加だった。桜井はペイジからの言葉とショーケースライブでの成功を自信に、脱サラする。これには楽器業界で働いていた妻からの強い後押しもあった。 「日本で安定した仕事を持ちながら、それを手放して海外に挑戦することには迷いがありました。しかし、音楽や楽器業界がデジタル化し、人間味や個性が薄れていく中で、僕自身が大切にしたいものを追求するために決断しました。好きなこと、やりたいことを選びたいと思いました」 しかし、2017年にはレッド・ツェッペリンの音楽を表現することへの姿勢の違いから「Led Zepagain」を脱退。自らのバンド「MR.JIMMY」をロサンゼルスで再度結成し、同じ年にレッド・ツェッペリンのドラマー、故ジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムのバンドメンバーにも抜てきされ全米を巡っている。 「コピーではなく、おまえのオリジナルが聴きたい、という声もあります。でも、僕には『そもそもオリジナルとは何なのか』という思いがあるわけです。ロックのオリジナルはもう60~80年代に全部出尽くした感がある。後はリメイク、焼き直しじゃないか、と思っています。コピーと言うと、技術的な再現のように思われるかもしれないですが、本当の意味でのコピーは非常に難しい。僕が大切にしているのは、演奏の流れや感覚を忠実に表現することで、それは、ライブの魂を届けることです」 桜井のプレーは、モノマネ、完コピを超えて、オリジナルな生き方と言えるだろう。 ちなみに、桜井に「一般の方におすすめのツェッペリン・ライブは?」と聞くと、オフィシャルリリースされている1970年1月のロイヤル・アルバート・ホール公演(『Led Zeppelin レッド・ツェッペリン/英国・ロイヤルアルバート London,UK 1.9.1970』)、71年BBCライブ(アルバム『BBCライヴ』)、1973年7月、マディソン・スクエア・ガーデン公演(ドキュメンタリー映画『狂熱のライヴ』)だという。 「どれも、その時代時代の勢いがあるんです。だから、一つを選ぶのは難しい。スタジオで収録したアルバムは後から直したり、肉付けしていますが、ライブは当時の彼らがそのまま出ている。勢いがすべて。レッド・ツェッペリンの魅力が一番出ているのがライブだと思っています」。桜井は、そのライブの再現に人生のすべてをかけている。そこにはゴールはない。 □ジミー桜井(じみー・さくらい)本名:桜井昭夫、1963年10月4日生まれ、新潟県十日町市出身。14歳でギターを始め、KISSやディープ・パープルなどの楽曲を演奏していたが、17歳の時にレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジに深い影響を受け、トリビュートバンド「LAYLA」を結成。サラリーマンとして働きながらもバンド活動を続け、1994年に東京で「MR.JIMMY」を結成。2014年にはアメリカのトリビュートバンド「Led Zepagain」に加入し、全米やカナダでのツアーに参加。2017年にはアメリカで自身のバンド「MR.JIMMY」を再結成し、精力的に活動を続けている。著書に『世界で一番ジミー・ペイジになろうとした男』(2018年、リットーミュージック)がある。
平辻哲也