楽天ドラ1の宗山塁、野球引退の清原正吾ら、ドラフトを賑わせた東京六大学の選手たちが最終戦後に残した言葉
【楽天5位・吉納翼は「徳武さんに恩返しを」】 「試合に関わる部員全員に『東京六大学の代表にふさわしいプレーを見せよう』と伝えましたが、思い通りにいかなかった。まだまだ私の力不足であると痛感しました」(早稲田大・小宮山悟監督) 秋季東京六大学リーグ優勝決定戦で明治大を下し、2季連続のリーグ優勝を果たした早稲田大。6月の全日本大学選手権で青山学院大に敗れ、準優勝に終わった雪辱を果たすべく、秋の大学日本一をかけて明治神宮大会に挑んだが......それは来季に持ち越しとなった。 大会の初陣となった11月23日の準々決勝、環太平洋大戦(中国・四国三連盟)で、楽天からドラフト2位指名を受けた左腕・徳山一翔の前に散発5安打、10残塁と打線が沈黙。3年生エースの伊藤樹の力投も虚しく、延長10回タイブレークの末に1-2で敗れた。 来季から徳山と同じユニフォームに袖を通す吉納は、「今は早稲田のユニフォームを着ているので、(徳山を)そこまで意識していなかった」としながらも、「自分を含めた野手陣が要所で打てなかったことに尽きます。いい投手であることはわかっていたけど、それでも結果を出していくことが全国大会では必要だった。うまく対応できなかったことが敗因だったと思う」と、5打数1安打3三振に終わった試合後に唇を噛んだ。 吉納は"徳武定祐(旧名は定之)氏の最後の教え子"とも言われている。徳武氏は早稲田大を経て元国鉄(現在のヤクルト)に入団し、引退後は中日やロッテでコーチや監督を務め、早稲田大でも打撃コーチを務めるなど長く後輩たちの指導にあたってきた。しかし今年、早稲田大が秋季リーグで優勝を決めた2日後の11月14日、86歳で永眠した。 日頃から「『(徳武氏が)最後に育てたプロ野球選手になる』と言われていた」という吉納は、「プロの世界に行けるのは徳武さんのおかげだと思う。日本一の報告ができずに非常に悔しい」と思いを述べた。 「今後は"ここぞ"という場面で頼りがいがあるような選手になりたい。自分がプロの世界で活躍して、天国にいる徳武さんに恩返しができたらなと思います」