【証言・北方領土】水晶島と国後島・元島民 佐藤健夫さん(3)
約50年ぶりに国後島に上陸
―最初にビザなしで島々に渡ったのはいつですか。 それはね、平成6年だね。22年前だね。 ―そのときは、どの島に? そのときはね、色丹と、国後と、択捉も行く予定だったんだけど、波が高くて、その2島ですね。
―国後に上陸できました? できたの。色丹もできました。古釜布(ふるかまっぷ)はね、国後の古釜布っちゅうとこに必ず行くんですよ、ビザなしとか。入域手続っていうのあるんだよね。そのためには、古釜布に必ず行かないばならない。それで、あのころはね、行ったら、すごく歓迎してくれてね、港にもういっぱい人が、そのころ、平成4年から始まってるから、3年目だったね。そのころはね、思い出としては、民間のうちに泊まるんですよ。 ―ロシア人の家に。 そうそうそう。友好の家って、今できて、通称ムネオハウスってあるでしょ。そこで泊まれるんだけど、そのころは民間のうちに泊まるんだけど、狭いうちだから、ロシア人もね、我々が泊まりに行くと、子供の部屋があけてくれんですよ。だから、子供はよその友だちのうちに泊めて、我々が泊めてくれると。2日、2人ぐらいずつ…何十人も行くからね、あれ大変だったねえですかね。 そのころね、すごく案内してくれたんですよ、飛行場とかね、その島の裏側のね、材木岩ってあんですよ。すごい景色がいいの。そういうとこにね、ロシアの軍隊のね、車、岩がいっぱいあるから、そこをね、こんなでっかいタイヤの車があってね、どこでも行けるようなとこ、道路なくてもいいんですよ、そういう車に乗せてくれたりね。ずっと古釜布沼から、泊のほうの、道路悪いところ、案内してくれてね。だから、すごく歓迎してもくれたんだけど、今はね、あんまり、行けないとこが増えたんですよ。 やっぱり軍事基地ができてきてるんでないかなと、予想ではね。僕、びっくりしたのは、古釜布沼っちゅう町と泊との途中の道路がね、すごく立派んなったんで。東沸っていうんだよ、途中の町にね、そこに墓参に行ったんだけど、その道路を横断するんだけどね、舗装はされてないんだけどね、がっちり、砂利なんだけど、地がされてね、頑丈にできてね、びっくりしたのは、戦車がね、5、6台、ものすごい音たて走ってきたんですよ。その道路をね、ものすごいスピードで。戦車って、あんなにスピードで走るのかっていうぐらい、びっくりするような速さで走って、通り抜けてったのね。だから、軍事、軍事施設っちゅうかね、そういうものがね、だんだん、そっちできているんでないか。それで見せたくないところがふえてきてるんでないかな、そういう感じするね。