【証言・北方領土】水晶島と国後島・元島民 佐藤健夫さん(3)
―戦車を見たのはいつの話ですか? それはね、2年ぐらい前だね。 20年前はね、うちへ泊まって、夜なんか、もう真っ暗ですよ。歓迎してくれるから、酒ついでもね、乾杯、乾杯って飲むでしょ。それがね、あんまり飲めねえんだ、アルコールね。だから、それがつらかったですよ。うれしいけどね、だけど、水餃子っていう餃子にね、茹でた、それにバターを乗せるんですよ。それに塩パラパラっと、こう。ね、それを、向こうではごちそうなんだろうね。初めはね、暖かいうちはいいんだよね。少し時間経つと冷えてくるでしょ。だから、そういうのはね、食べづらいんですよ。だけど、ロシアの人たちはね、それをゆっくり2時間ぐらいかけて食べるんですよ。山盛りにして出してくれたね。だけど、どうも、酒も、そういう食べ物もね、あんまり口に合わない。 今ね、友好の家でね、出してくれる、ロシアの女性の方がね、一生懸命つくってくれるんですよ。だけどね、もう一つ、何か、日本人っていうのは、食べれますけどね、ご飯もね、何かぼそぼそしてね、日本の米と大分違うね。黒パンはね、うまくなってきてますわ。昔、島で食べたときよりね、食べやすくなってるっちゅうかね。だけど、全体的に、ごちそうとしてね、ホームビジットって一般のうちにも行くんだけど、あんまりうまいっていう感覚はないね。それはしようがないわな。 ロシア人は来るんですよ、中標津にも。親子ペアでね、二、三十人来る。それを夕食会を催して、みんなで食べて、一緒に食事するんですよ。ロシア人はどう思ってんのかな。おいしいって、フクスナーって、おいしいっていうようなことは言ってくれるから、向こうの人は割と調味料などもね、日本は豊富だから、うまいと思って食べてんでないかなと思うよ。 ―当時の住まいは古釜布から近いのですか? いやいや、遠いですよ。古釜布っていうのは、その泊村さ。泊村の一角なんだけど、我々は留夜別村っていう、爺爺岳とか、乳呑路っていうところに役場があった。だから、それが半分、半分こっちは、古釜布は、泊村のね。 ―古釜布に着いて、当時の暮らしを思い出すか? ないというかね、いっぱい、ロシア化っていうかね、舗装もされてきてるし、もう夜ね、街灯もつくからね。だから、電気事情もよくなってるね。シャワーなどもやれるし、電気、シャワー。ただ、日本のような風呂がないから、どぶっと入る。シャワーってのは、どうも合わないんだよね。嫌なんですよね。トイレとか、風呂とか、そういうのもやっぱり合わないね。あんまり、トイレなどは、もう水洗なんだろうけど、何か詰まってるようでね。今はそうでもないかな。ムネオハウスのトイレなどもう水洗だったと思うよ。