「居酒屋で隣に座る」くらいの距離が重要な訳 若者にも広がる「誰かとつながりたい」感覚
2mのソーシャルディスタンスと言われた「社会距離」 居酒屋で隣に座っているぐらいの「個体距離」 家族とか恋人など肌が密着する「密接距離」 ビジネス的なやり取りをするには、社会距離で十分なのですが、2mの距離があると、人は盛り上がりません。 やはり、30~50cmくらいの個体距離で交流することが、実は大事なのです。 ■抑圧的だった昭和の時代の共同体 会社の飲み会が嫌だという話はよく聞きますが、常にバランスの問題ではないかと思います。嫌がるのは30代で、20代になると、人と会わなさすぎてみんな寂しがっていますよ。
コロナの間に学校を卒業して、就職してからもリモート。会社の研修もまともに直接教わっていません。「ホワイトすぎること」への不満が募りつつあるという感覚も出ています。 ダンバー数的なコミュニティに対する希望は、振り幅があって、常に動くということも言えるでしょう。 昭和の世代にとっては、共同体と言えば、鬱陶しいぐらいに抑圧するものでした。田舎の親戚が嫌で東京へ逃げてきたという人もたくさんいます。ですから、「共同体」と聞いた途端、「またあんなことになったら嫌だな」と思うわけです。
でも、80年代生まれ以降になると、物心ついた時から共同体がありません。ですから、共同体に対する愛着や希望を強く持っています。 2010年代に流行りはじめたシェアハウスなども、まさしくその感覚でしょう。70年代生まれぐらいまでの人は、シェアハウスを嫌がる人が圧倒的に多いのですが、80年代生まれ以降になるとそうでもありません。 6人で3LDKのシェアハウスに暮らす人に「プライバシーのない生活は嫌にならないのか」と聞いてみたら、「僕たちは、外に出ると1人なんです。家にいる時ぐらいは仲間が欲しい」と言っていました。やはり、帰属意識が必要なんですよね。
昭和世代の帰属に対する反発が、共同体を希薄にさせてしまった。今、その逆張りが起きているのは間違いないでしょう。 ■コミュニティを持続させるのは難しい 僕は、松浦弥太郎さんと一緒に「SUSONO」という有料のコミュニティを4年ほどやっていました。毎月1度リアルで集まって、ゲストの話を聞いたり、山登りをしたりしましたが、コミュニティは、持続させることが本当に難しいものです。 地縁や血縁なら自然にコミュニティが生まれますが、そうでない場合は、放っておくと少しずつ人数が減っていくのです。そして、残った人間が常連化して、新参者が入りにくくなる。