前代未聞!大晦日に紅白の裏で民放3局が格闘技中継。最後に名乗りを上げたPRIDEの思惑【格闘技が紅白に勝った日】
フジテレビも「大晦日」に参戦宣言
情報が錯綜する中、2003年11月9日、PRIDE東京ドーム大会「PRIDE GP2003決勝戦」の日を迎えた。入場者数は、PRIDE史上最多となる6万7451人(主催者発表=札止め)。“PRIDEの番人”ゲーリー・グッドリッジが、巨漢のダン・ボビッシュを18秒でKOすると“暴走ホームレス”クイントン“ランペイジ”ジャクソンが、UFC王者のチャッ ク・リデルをパウンドの連打で葬り、吉田秀彦はヴァンダレイ・シウバを相手に柔道着を鮮血で染めながら、真っ向から打撃勝負を繰り広げた。結果は判定負けを喫したが、場内の興奮は最高潮に達した。 休憩明けのこの時間は、いつもなら『炎のファイター』が流れて、猪木コールの大合唱の中、アントニオ猪木が登場する場面である。「元気ですかーっ」と叫び、自作のポエムを披露して「1、2、3、ダーッ」で締める。しかし、猪木は一向に現れない。代わりにリングインしたのが高田延彦だった。マイクを握ると、おもむろにこう告げた。 「皆さん、猪木さんの姿はどこに行ってしまったんでしょう。猪木さんの姿はありません。猪木さん、どこに行ってしまったんですか。……去る者は追わず」 恩師への訣別宣言に場内は騒然となった。そして、こう言い切ったのである。 「大晦日、PRIDEもやることになりました。応援よろしくお願いします」 この瞬間、日本テレビ、TBSに次いで、フジテレビも大晦日の格闘技中継に踏み切ったのである。この発表を受けて、最も慌てたのが日本テレビだったはずだ。「(※註・PRIDE運営会社である)DSEの協力も得られる」と期待したからこそ、猪木祭を主催する川又誠矢に破格の条件を提示し、契約に至ったのだが、結果的に榊原信行は川又の決定に服さなかったのである。 「バラが『いや、実は(※註・フジテレビの)清原から日テレでやるなら、来年からPRIDEは切ると言われている』と。自分は彼に同情したんですよ。バラがオーナーで全部決められるならいいんですが、そうじゃない。彼がかわいそうだなと思ってしまった」(川又誠矢のコメント/『新日、K-1、PRIDEタブー大全』タダシ☆タナカ+シュート活字委員会編著/宝島社文庫) 「どんな話し合いがあったか、僕が知る由もないけど、バラさんがフジと離れないことは、わかっていました。清原さんがDSEを手放すわけないから。だから、これは想像だけど、バラさんは川又さんと話し合って『快く送り出す』って形にしたんだと思います」(谷川貞治) 続きは<大晦日興行の成否を占う11月のPRIDE東京ドーム大会。「ノゲイラ対ミルコ」の壮絶な闘い。ミルコの大晦日出場は!?>で公開中。
細田 昌志(総合作家)