新天地・三遠ネオフェニックスで躍動する大型フォワード【吉井裕鷹】は、プロの厳しさを知った1年が成長の糧に!
パリ五輪で世界の屈強なフォワード相手に当たり負けしなかったディフェンスに加え、得点力でもチームの強さに貢献している三遠ネオフェニックスの吉井裕鷹。日本が世界に誇る大型フォワードが、分岐点となった1年を語る。
TURNING POINT/2020年10月2日-2021年6月1日 B1リーグ 2020-21シーズン
昨シーズンに初年度(2016–17シーズン)以来のチャンピオンシップ出場を果たした三遠ネオフェニックスの新戦力として加入し、上昇気流に乗るチームを攻守で牽引している吉井裕鷹。日本代表においてもホーバスジャパンに不可欠な存在となり、パリ五輪で歴史的金星に迫る大接戦を繰り広げたフランス戦では、エースシューターのエバン・フォーニエに激しいマークを仕掛けるなど、身体の強さを生かしたディフェンスでチームに貢献。ドイツ戦では10得点、6リバウンド、2アシストとオフェンスでも存在感を示した。 そんな吉井が分岐点として語ってくれたのは、プロ入り1年めのシーズン。大阪学院大学3年次の練習生を経て、2020–21シーズンに特別指定選手としてアルバルク東京に加入した吉井は、特定の試合ではなく、試合に出られない悔しさや厳しい環境と直面したこの1シーズンをターニングポイントとして捉えているという。 「僕がバスケットボール選手としてプロになった場所は、リーグでもトップクラスに厳しい環境。試合の緊張感同様に行われている日々の練習から、そう感じていました。それまで自分がやってきたバスケットは本当に上澄みの部分だったというか、自分が上っ面だけでバスケットをやっていたんだという感覚になるほど、バスケットが難しくて厳しいものだということを突きつけられた場所でした」 アルバルク東京は、リーグ屈指の名門。あえて厳しい環境に身を置くことを選択したことで、目の当たりにしたものの大きさは相当なものだったという。 「それまでは身体能力だったり技術といったものが大事だと思っていましたが、毎日のしのぎを削るような環境でそういったものを見せられる場面は本当に限られています。もちろん身体能力も技術も大切なものではあるのですが、それを生かすのは、心の部分。たとえ失敗してしまったとしても、そこを切り替えて我慢し続けるみたいなところが非常に重要になってくる。プロの世界に身を置いて、そこは強く感じるようになりました」 そんな吉井がアルバルク東京でプレイタイムを得られるようになったのは、その翌シーズン(2021–22シーズン)後半のこと。3年めの2022–23シーズンは52試合に出場し、1試合平均15分43秒のプレイタイムで3.1得点0.6アシストを記録するようになったが、そこに至るまでの過程においても初年度の気づきが大きかったという。 「試合に出られないということはなによりも苦痛なので、試合に出るためにはどうすればいいのかということを自分なりに考え、自分で気づくことができた。そこは経験として非常に大きなものになりました。他人からお前はこうしたほうがいいといってもらうのと、自分でこうしたほうがいいと気づくことは、天と地ほど違うことだと僕は思っています。そのことに死ぬほど気づかされたのが、最初の1シーズンだったのだと思います」 プロとしてのターニングポイントとなった1シーズンを経て成長を遂げた吉井は、日本代表としても欠かせない存在となり、ワールドカップ2023、パリ五輪の中心メンバーとして世界を相手に真っ向勝負で渡り合った。そして、今シーズンは、新天地として選んだ三遠ネオフェニックスで躍動。10月27日の茨城ロボッツ戦では5試合連続2桁得点してキャリアハイを更新。加えて、リーグトップクラスの3ポイント成功率でもチームの強さに貢献している。 「オリンピックで試合に出たことは、死ぬまで誰にも奪われることのない経験だと自負しています。一勝もできなかったのですが、タフにバスケットができたというところは大いに自信になりました。そういった経験から得たものも含め、チームに還元できるようにしていきたい。僕個人としては、三遠では速いバスケットだったり、フィジカルのバスケットを見せたいと思っています。派手なプレイはしませんが、まわりの選手がボールを扱ったときにその動きに対応して、合わせでカッティングをしたり、スクリーンをかけるべきところでしっかりスクリーンをかけたり。あるいは、オープンになったら3ポイントをしっかり打ち切る。そういったところはしっかりやり切れる選手だと自分で思っているので、そういった部分は還元していきたいと考えています。決して派手なプレイではないけれど、数字に表れないような動きでチームを助けていくところを見てもらえたら嬉しいですね」