篠山は「自分が一番になる」と言っていた。大学時代からの親友・沢渡朔が語る篠山紀信の生き方
「これは僕が撮影した写真です。『カメラ毎日』の別冊にプロフィールの写真が必要だったんですよね。僕が篠山のことを書いたんじゃなかったかな。それ用に写真が必要で撮った写真なんです」 【写真】篠山紀信さんの若かりし頃から近影まで連続写真で 2024年1月4日、83歳で天国に旅立った篠山紀信さんの若かりし頃の写真を指差すのは、写真家の沢渡朔さんだ。 その指差した写真が飾られていたのは、篠山さんが84歳を迎えるはずだった誕生日の12月3日(火)、ホテルオークラ東京にて開催された「篠山紀信先生を偲ぶ会」会場。篠山さんが撮影したジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんの有名な写真のまわりには、若かりし頃から最近までの篠山さんの写真が並んでいた。 この会には弔辞を贈った野田秀樹さんをはじめ、市川團十郎さん、松本白鷗夫妻、中村勘九郎さんと七之助さんのご兄弟、コシノジュンコさん、水沢アキさん、真矢みきさん、真琴つばささん、長塚圭史さんなど約400名が訪れた。 沢渡さんは18歳のころ、日本大学芸術学部写真学科で同じクラスになって以来の親友だ。そんな沢渡さんが「偲ぶ会」で語った篠山さんとは。
大学在学中から広告代理店に入社
篠山紀信さんは大学3年生の時の1961年に広告写真家協会展APA賞を受賞し、広告代理店ライトパブリシティに入社。学生時代からプロの道を歩み始めた。沢渡さんは語る。 「彼がライトパブリシティに入ったのが3年性の時。撮影をして自分のクレジットが出てというのが一番楽しいんですね。学生のときからライトに入るなんて彼が初めてですよ。異色というかまっしぐらですよね。日大だけでは足りなくて夜に写真の学校(編集部注:東京綜合写真専門学校)に通っていました」 学生時代の頃のことは、篠山さんもかつてインタビューでこのように語っていた。 「驚いたのは体育っていう時間があって、跳び箱を飛べとかいって、これで突き指なんかしたらどの指でシャッター押すんだこの野郎って(笑)。ちゃんとした学校であんまり写真のことを教えてくれる学校ではなかった」