篠山は「自分が一番になる」と言っていた。大学時代からの親友・沢渡朔が語る篠山紀信の生き方
会いましょうって言ってて、あっというまに天国に行っちゃった
たとえ能力があり、センスがあっても、突き抜けることは容易ではなかったのだ。当時、写真の文化を生み出した写真誌に採用されたときのことを、篠山さんはこのように語っている。 「編集者って偉い人なんだなって。パッパッパッとみて、これとこれとこれとこれだなって。5枚くらい選んで、『君これから写真やるんだろう?』って。やるからライト(パブリシティ)にいるんだけど、とにかく態度がとにかく横柄でえらそうなんですよ(笑)。そういう人に会ったことがなかった。 じゃ栄光ってタイトルをつけてやる。栄光、グロリアですよ。栄光で5ページ。ありがとうございます! って感じで帰ってきて。いやすごい人たちがいるんだな、すごい社会があるんだな。やっぱり、学生から急にライトにはいったり、学生が卒業するからって卒業制作を展覧会に出していたようなやつが社会の中にいって編集者なんかみたらびっくりしますよ。ここで作品性の高いものを作るっていう訓練ができていったんですね」 こうして悔しくて泣いたりしながらも、それらすべて「訓練」とし、学び、吸収をしていった。そうして積み上げたものがどのように噴出したか。そこからのちの活躍はご存じの通りだ。 沢渡さんは言う。 「彼とは去年『BRUTAS』の対談(編集部注:2023年11月1日号」)で会って、もう一度年末に会いましょうって言ってて、それでは会えなかったら、あっという間に天国に行っちゃった。凝縮された人生で、彼らしいんじゃないですか」 篠山さんの凝縮された人生。沢渡さんとともに過ごした時期が、篠山さんの写真家としての礎をつくるための、とても大切で輝いた時間だったことは、間違いがない。 構成・文/FRaUweb編集部
FRaU編集部