被告人を「奴ら」「あいつら」と語る…国民を脅かす”冤罪事件”につながりかねない「刑事系裁判官」の問題点
民事のほうがおもしろい…?
また、刑事裁判は、民事裁判に比較すると人気がなく、ことに若手の裁判官にはほとんど希望者がいないという状況であったという事実も、考慮する必要がある。 これにはいくつかの原因がある。第一に、日本の刑事司法システムで有罪無罪の別を実質的に決めているのが実際にはまずは検察官であって、裁判官はそれを審査する役割にすぎないということがある(したがって、日本の刑事裁判の無罪率はきわめて低い)。 このことは、日本の刑事司法の特色として、海外の学者が必ず言及する事柄である。第二に、事件の類型がどうしても限られ、たとえば、単独事件、すなわち1人の裁判官によって裁判が行われる事件でいうと、比較的単純な交通事故事件や覚醒剤関係事件等の、大半は起訴事実に争いのない法廷が1日中続くといったことがままあり、また、こうした事件では型にはまった情状証人の取調べが非常に多く、仕事が単調になりやすいということがある。 第三に、被告人が起訴事実を認めても否認の場合と同様に証拠調べを行うなど手続に新鮮味がないということがある。 このやり方は本来合理的とはいえないのだが、日本の場合、逮捕勾留時に被疑者が弁護士と接する機会がきわめて限られているため、被告人が事実を全部認めても本当に間違いがないのかを裁判所が審査せざるをえないこと、 また、刑事裁判におけるパターナリズム、父権的後見主義、お白洲裁判の伝統が関係していると私は思っている。 以上のようなことから、忙しくても民事のほうが面白いしやりがいもあると考える若手が多くなっていたわけである(なお、一般的にいえば刑事系裁判官の仕事ぶりに民事系よりもゆとりがあることは、昔からよくいわれており、刑事系に人を誘う際の常套句にもなっていた)。 こういう状況では、刑事系裁判官には能力の高い人が集まりにくくなってくる。これは家裁系裁判官についてもいえることで、むしろ、民事系、刑事系、家裁系といった区別をせずに、全裁判官がローテーションで民事、刑事、家事少年事件を担当するようにしていくのが、今後の、望ましくかつ健全な方向であることは間違いがなかった。 『最高裁の「判事」を経ずに「長官」になるきわめて異例の出世…裁判員制度導入がもたらした「刑事系裁判官」の逆襲』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)