“給与問題”発覚…1年足らずで「クビになった」 フロントと合わぬ理念、元虎右腕の誤算
中田良弘氏は2008年9月に「神戸9クルーズ」監督に就任も…翌年7月に解任
元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)は、2008年9月に関西独立リーグ「神戸9クルーズ」監督に就任した。同年11月の同リーグのドラフト会議では、16歳の“ナックルボーラー”吉田えり投手を7巡目で指名して獲得。男子と同一チーム所属の女子プロ野球選手として注目を集める吉田をサポートしたのをはじめ、選手育成に全力を注いだが、2009年シーズン中に解任された。「あの時は『中田だけがいろいろ言う』と言われたんですよねぇ……」と話した。 【映像】戦力外も…運命のトライアウトに遅刻、土下座も虚しく強制退場 中田氏は1994年に現役引退して以降、野球評論家として活動している。2008年9月に神戸9クルーズ監督に就任したが、テレビ、新聞での評論家業を続けながら取り組んだ。「大変でしたよ。(9クルーズの)試合がある時は(評論家の仕事を)入れてもらわないようにしたり、協力してもらいました」。当時、大きな話題となったのが“ナックル姫”こと吉田えり投手だ。「えりのナックルはよかったですよ。すごく揺れてね」と懐かしそうに振り返った。 「えりを何とか全面的に出してあげたいというのがありましたね。それでリーグも盛り上げて、いずれは選手たちをNPBに行かせてあげたいってね。マスコミも大きく扱ってくれました。尼崎で試合をやった時は、外野までお客さんでいっぱいになったんですよ。そうなれば選手も頑張ろうってなるじゃないですか。よかったと思いましたけどね」。2009年前期、神戸9クルーズはリーグ2位になった。中田氏も監督として選手育成に燃えていた。 だが、事態は大きく変化した。後期が開幕してすぐの7月29日、中田氏は監督を解任された。「球団が選手に給料を払えないとか、そういう話になって……。はじめはちょっと違ったんですよ。それが全然払えなくなるって。じゃあ、何で立ち上げるねんって話じゃないですか。選手たちはいろんなところをやめてきているのに。でも、いろんな人がしょうがないって。僕だけ反対したんですよ。で、『中田だけは何かいろいろ言う』って。それでクビになったんです」。 監督になるまで中田氏は9クルーズ関係者のことを全く知らなかったという。「何か、そういう会があってたまたま参加したら(9クルーズの)スタッフから『ちゃんとしたお話がしたい』と言われて『いいですよ』って。それで監督を受けることになったんですけどね。まぁ、結局、選手第一主義の僕とはちょっと違っていましたね、感覚が。その辺のことは(当時の)選手もよく知っていますけどね」。