99歳サッカー伝説記者で元サンスポ・賀川浩さん逝く W杯10大会取材、日本人初FIFA会長賞
世界最年長のサッカージャーナリストとして、2015年に国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞した賀川浩(かがわ・ひろし)さんが5日、老衰のため神戸市の病院で死去した。99歳。通夜、告別式は関係者のみで執り行う。サンケイスポーツ(大阪)で編集局長などを歴任し、定年退職後もフリーで90代まで執筆した。W杯は10大会を現地で取材。10年には日本サッカー殿堂入りした。 国内外のレジェンドたちがリスペクトするサッカージャーナリスト、賀川浩さんが、百寿を目前に旅立った。 賀川さんは数年前から老人ホームで暮らし、つえの助けを借りながら自力で歩行していたが、今年10月に体調が悪化して入院。ベッドに伏せる時間が長くなり、食事も満足にとれない状況が続いていた。自身の蔵書を神戸市立中央図書館に寄託した「神戸賀川サッカー文庫」で10月14日に開催された10周年記念イベントも欠席。その後、快方に向かい退院したが、この日朝、生活していた施設で体調が急変し、搬送された神戸市の病院で亡くなった。 1924(大正13)年に生まれ、神戸大などでサッカー選手として活躍。52年に産経新聞社(大阪)に入社して取材を始め、ヤンマーの釜本邦茂ら日本代表の選手や協会関係者に密着した。日本サッカーの父と呼ばれたドイツ人指導者、デットマール・クラマー氏と親交が深く、強化されて68年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本代表を丹念に取材。ドイツ留学を考えていた当時中学生の岡田武史氏から相談を受け、進学をすすめたこともあった。 W杯を74年西ドイツ大会から9大会連続で取材。2010年南アフリカ大会は会場に赴けなかったが、14年ブラジル大会は現地で取材し、89歳の「大会最年長記者」として国際サッカー連盟(FIFA)にも紹介された。こうした功績が評価され、15年に日本人として初めてFIFA会長賞を受賞。表彰式では、最優秀選手のC・ロナウド(ポルトガル)と壇上に立った。10年の日本サッカー殿堂入りに加え、世界からも称賛された。 100歳の誕生日の29日に、関係者によるお祝いの会が計画されていた。その実現はかなわなかったが、これまでの偉業は永遠に刻まれる。