子どもたちに感動と体験の環境教育を 里山で孫と歩む震災からの再建 能登の「ケロンの小さな村」
夫婦二人三脚で切り開いた里山
高校の校長を務め、退職後の2008年、感銘を受けたメルディンゲンの取り組みを実践すべく、上乗さんは動き出します。退職金の一部で耕作放棄地を取得し、妻と二人三脚で里山の再生をスタートしました。 ケロン村づくりを持続可能なものとするため、上乗さんは純子さんに3つの誓いを立てました。1つは「自力開発」、2つには「ノー借金」、そして、3つには「長期計画」です。小さな取り組みを長く継続させるメルディンゲン村の教えに従って、当初10年間の事業計画を立てました。夫婦で重機の資格を取り、ショベルカーやチェーンソーで、荒れた里山を切り開きました。
ケロン村ができるまでには、いくつかの幸運がありました。沼地の排水路をつくろうと掘削していたところ、真っ黒な水柱が立ち、泥水が吹き上げました。この土地は以前より、水が冷たい上に、水はけが悪く、耕作がしづらいと言われていました。しばらくしても、わき水の量は減りませんでしたが、いつの間にか澄んだ透明に変わっていました。そこで、保健所に水質検査を依頼したところ、「食品の製造等に用いられる水の規格に適合する」との結果が出ました。 「農家を長年困らせ続けた泥水が、何と天然の飲料水だったのです」 上乗さんは、「災い転じて福となす」のことわざから、「福転の水」と名付けました。この名水が、震災後に、地域の人々を救うことになります。
もう一つの幸運は、人とのつながりです。県教育委員会時代の上司が当時、副知事をしており、たまたま立ち寄った際、里山づくりの話をしながら、わき水を飲んでもらいました。すると「このおいしい水を地域貢献に使ってくれよ」と言われ、数日後、県の幹部から「農業だけでなく、加工や販売、体験や観光など、6次産業化に取り組んでは」とアドバイスを受けます。 当時、2007年に輪島市で起きた能登半島地震の復興基金があり、補助事業を募集していました。上乗さんは、農地を子どもたちの自然体験村にする構想に加え、以前から趣味でパンやスコーン作りが得意だったため、米粉でパンを作り、販売してみることを決めました。事業は採択され、石窯を制作する費用などを確保することができました。