「美和さんの足元にも及ばないじゃん」TV取材にグラビア撮影…“第2の浅尾美和”と呼ばれた坂口佳穂の告白「もし引退しなければ…と思う瞬間もあった」
7年間の現役時代には“ビーチバレー界のアイコン”として、ときにはグラビアモデルもこなし、メディアに取り上げられてきた坂口佳穂さん。付いてまわったのは、ビーチバレーを世間に広めた浅尾美和さんの存在だ。渦中にいた人気絶頂期を振り返る。《NumberWebインタビュー全3回の第2回》 【写真】ビーチでプレーする坂口佳穂さんの現役時代に、プールで撮影したグラビア写真。今年出産した長女&夫との幸せいっぱいの家族写真も。“新ビーチの妖精”と呼ばれた坂口さんの過去と現在を写真で見る。 ――当初からメディアに取り上げられていましたが、印象に残っていることはありますか? 坂口 最初は大学の部活のような位置づけで、川崎のクラブチームのアカデミーに入って練習していました。けれど、環境がどんどんと変わっていって最初に出た国内大会でワイルドカードをいただきました。そこで、テレビの取材が来て“これは現実か? ”と驚いたのを覚えています。自分が当事者とは思えないような感覚で、テレビに映っている自分を見ていました。反響もあって、なんか想像していたのと全然違うと思って……。 ――想像と違うというのは? 坂口 大学1年時、当初ペアを組ませていただいた(浦田)聖子さんに『砂の上にも3年だよ』と言われて、まずは3年頑張ろう、と思っていたのに、まだ結果も残していないのに取り上げてもらって。“どうしよう、ちょっと待って! ”と。
浅尾美和と“比較された”現役時代
――それを機にスポーツ誌以外のメディアに取り上げられ、グラビアのお仕事もされていましたね。 坂口 注目していただきました。グラビア撮影はロサンゼルス合宿まで来ていただいたので、練習風景も撮影してもらって本当に嬉しかった。だから、絶対に結果を残せるように頑張ろう、と思っていたんですけど。 ――ビーチバレーの広告塔のような存在でした。浅尾美和さんと比較されることも? 坂口 “第2の”とか言っていただくことも多くて、私もそこまでやらなきゃいけないんだ、と思うこともありました。でも私は、美和さんのような魅力は持っていなかった。美和さんの時代のチケットの売れ行きやメディアの多さを聞くたびに“足元にも及ばないじゃん”と。私はビーチバレー界に何も残せなかったな、と思っています。 ――重荷に感じていたことは? 坂口 重荷ではなく、感謝しかありませんでした。スポンサーさんがいてくれたからこその競技生活。だから早く結果を出して感謝を伝えなきゃいけないという焦りはありました。
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