「美和さんの足元にも及ばないじゃん」TV取材にグラビア撮影…“第2の浅尾美和”と呼ばれた坂口佳穂の告白「もし引退しなければ…と思う瞬間もあった」
「もし引退しなければ…と思う瞬間もあった」
最後のシーズンとなった2021年5月。日本代表決定戦に敗れ、目標にしていた東京五輪出場が叶うことはなかった。その後、一度はパリ五輪出場を掲げたが、「ビーチバレーが楽しいと思えなくなった」と前を向けなくなった坂口さんは引退を決意した。 ――引退した時はすぐに切り替えられましたか? 坂口 引退を決めるまでは気持ちが落ちていたんですけど、味方でいてくれたのは今の旦那さんでした。どんなかたちであれ、応援してるから大丈夫だよ、と。それは大きかったな。ただ、移行期みたいな時に喪失感というか、いろいろ考えちゃう時はありました。やっぱりやめなければ……と思う瞬間もありました。 ――ぽっかりと穴が空いてしまうような? 坂口 はい。自分の価値のギャップはありましたね。私にはもう何もないんだって思う瞬間が。ビーチバレーをやっていたから応援されていたけど、やめると応援されなくなるし1人ぼっちになった気分になる。その時、旦那さんがいてくれたから踏ん張れましたし、違う考えに持っていくことができました。 ――東京五輪予選から3年が経ち、あの時戦っていた選手たちがパリ五輪に挑みました。パリ五輪は注目していましたか? 坂口 日本チームが出場できたのは本当に嬉しかったですね。金メダルを獲ったブラジル女子のブロッカー、パトリシア(アナパトリシア・シウバラモス)は私が初めて出場したワールドツアーの予選で対戦した相手。ネット際に壁があるかのように、めちゃくちゃブロックされたのを覚えています。あとは、5位に入ったスイスチームも、2018年の世界大学選手権で戦ってフルセットで悔しい負け方をしたペアでした。それを見て、もし私が続けていたら……と、思いましたよ。
「ビーチバレーを始めた頃は、まだ甘えがあった」
――先ほども、“やめなければ”と、ちらっと言われましたね。 坂口 思うのは一瞬ですよ。やめていなかったら、今どんな感じだったんだろうという想像はします。SNSで情報が入ってくるので、それを見ていると現役の選手たちはいいな、と思います。やっぱりキラキラしているじゃないですか。 ――坂口さんもそれに負けずキラキラしていますよ。 坂口 (笑)。だから、戻りたいかって言われたら答えは“いいえ”です。今は娘がいますから。私は、現役時代にいろいろなことを経験させてもらいました。だから次のステージで、前に進もうと。ただ、ビーチバレーをやり始めた学生の頃は、まだまだ甘えのほうが大きかったなと思います。 ――ちゃんと取り組んでいない部分があった? 坂口 もちろんその当時は、取り組んでいるつもりでした。今振り返ると、社会人で気づいたことをもっと学生のうちに気づいておけばよかったと思うことはありますね。 人気と結果を天秤にかけられ、それと向き合ってきた坂口さん。「私は現役時代、何も残せなかった」と話すが、本当にそうなのだろうか。今は外からビーチバレーという世界をシビアに見つめている。《インタビュー最終回に続く》 (撮影=榎本麻美)
(「バレーボールPRESS」吉田亜衣 = 文)
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