伊集院静<大人の流儀>。「人生は総じて割に合わない。そういうことを平然と受け入れて生きるのが大人の男というもの」
◆自分は何なのか 大半の大人の男は、こう思っている。 ―私はいつ大人になったんだろうか。 ただ生きてきたらいつの間にか周囲が大人扱いをしていた。 これがおそらく本音だろう。 しかしいつまでも、そんな甘い考えではいけない。馴れ合いで生きてはいけない。 人間は木から落ちた小枝ではないのだから流れに身をまかせて生きてばかりでは淋しい。 人はどこかで己と対峙し、自分を取り巻く、世界と時間を見つめ、自分は何なのかを考えてみるべきだ。 ―そう言われても何からはじめれば? だから、まず個、孤独の時間。 独りになる時間と場所をこしらえ、じっとすることだ。 チャラチャラしても生きてるのが人間なのだから、それは少し止めるんだ。 ※本稿は、『風の中に立て ―伊集院静のことば― 大人の流儀名言集』(講談社)の一部を再編集したものです。
伊集院静
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