「日本はすごい国」昭和人間が過去の栄光を忘れられない理由
バブル自慢は過去のモテ自慢と捉える
繰り返し書きますが、昭和人間も「日本はもうお金持ちの国ではない」ことは、自分自身の経済的な余裕のなさとも相まって、十分に実感しています。外国人観光客が日本の「物価の安さ」に驚いているとか、インバウンド向けリゾート施設のラーメンや海鮮丼がやたら高いといったニュースを見ると、デジャブを覚えずにいられません。 かつて日本人も先進国ではない国に旅行に行ったときに、物価水準の違いや円高のおかげで贅沢三昧したり、レストランで地元価格とはかけ離れた値段を吹っかけられて「まあしょうがないか」と思いながら払ったりといったことをさんざんしてきました。今、日本に来ている外国人観光客のみなさんは、同じ経験をしているわけです。 世界の中での日本の立ち位置の変化は分かっていても、残念ながら一部の昭和人間は、海外から日本に働きに来てくれている人に対して「日本の豊かさに憧れて貧しい国から出稼ぎに来た人たち」という見方を持ち続けています。外国人観光客に対して、相手の属性などから「見下してもいい理由」を探す癖がある人もいます。 「自分はそんなことはしない」と思っている人だって、油断は禁物です。「過去の栄光」にすがりたい気持ちや、日本に対するイメージにバブルの残像が紛れ込んでしまう可能性は、誰もが抱えていると思ったほうがいいでしょう。ことさら卑下したり意気消沈したりする必要はありませんけど、ありのままの「今の日本」を受け入れたいものです。 こういう話になると、政治や政治家がどうとか声高に批判を繰り広げる昭和人間もいますが、それはまた別の問題。ムキになって「日本の素晴らしさ」を強調したがる(≒他国を貶めたがる)人も少なくありません。どちらも、プライドを埋め合わせようとしている点では同じ。みっともなくて不毛な悪あがきであることを自覚したいものです。 若者の皆さんは、昭和人間に「バブルの頃はこうだった」みたいな話をされたところで、どうでもよすぎて腹も立たないでしょう。「過去の栄光が忘れられないんだな」と少しほろ苦い気持ちになって、実害がない限りは聞き流してください。過去のモテ自慢と同じで、「今は違いますよね」と返すのは残酷です。 日本が「お金持ちの国」という前提で、ちょっとズレた認識の話をしてきたときも同じ。会議の場なら反論したほうがいいですけど、雑談の場合は親切に現状を説明してあげる必要はありません。ちょっと説明されたぐらいで現状を認める理解力と度量があるなら、とっくに認めています。昭和人間も昭和人間なりに頑張ってはいるんですが、何かと至らないところだらけですみません。 文/石原壮一郎