富山のラムネ屋が飲料と食のソリューションカンパニーへ発展 転機は「起死回生の思いで導入した」パウチ容器 トンボ飲料
1896年(明治29年)、翠田辰次郎氏が富山県総曲輪でラムネの製造販売を開始して創業したトンボ飲料。1962年、戦後からの復興期を経て飲料メーカーとして再出発し、2つのターニングポイントを経て発展していく。 ターニングポイントの1つは、1981年に協和発酵工業(現・協和キリン)との間で健康飲料加工契約を締結したこと。もう1つは、口栓付きパウチ飲料への参入となる。 健康飲料の加工は、現在のODM(オリジナル・デザイン・マニュファクチュアリング)開発につながる。 現在、トンボ飲料の中でODMとOEMの受託製造は売上の8割を占める。 製造品目では、清涼飲料市場の主要容器であるペットボトル(PET)を手掛けていないのが特徴。飲料の中でも比較的高単価で売られる瓶や口栓付きパウチ入り製品を主に製造している。 製造にあたっては、その多くが委託先の設計通りに行うというスタンスではなく、中身開発に踏み込んだものとなっている。
24年10月10日、清飲記者会研修会の取材に応じた翠田章男社長は「当社では大手飲料メーカーさまの製品は手掛けておらず、飲料市場への参入を試みる製薬・化粧品・乳業・食品分野のメーカーさまの製品を少し開発に参加させていただきながら製造している。特に我々のゼリー化技術にはご評価いただいている」と説明する。 このような開発スタイルの礎は、1981年に開始した協和発酵工業の健康飲料の加工によって築かれた。 協和発酵工業の健康飲料は、現在市場に出回っているプロティン飲料やコラーゲン飲料の先駆けとなった。 この中身開発について「マスキングして飲みやすくする役割を我々が担った。基本的に健康素材とおいしさはトレードオフの関係にある。どちらかというと製薬や化粧品の領域ではない“おいしくする”という仕事を我々は得意とする」と胸を張る。 この頃、ホット&コールド自販機の登場で缶コーヒー市場が勃興するなど大手企業が飲料ビジネスに本格参入。瓶から缶、さらにはペットボトルへと容器シフトが進み、ラムネやサイダーは斜陽となっていく。