われわれが楽しくモノづくりをすることで良い製品ができ、使う人の生活に楽しみと豊かさを提供できると思っています【株式会社 昭和トラスト 取締役 副社長 飯岡智恵子氏:TOP interview】
名門トラストの復活
「トラスト」と聞いて、1980年代のトラストレーシングチームのポルシェ956が真っ先に思い浮かんだ人もいるだろう。また、サブブランドである「GReddy(グレッディ)」とともにスポーツカーのチューニングパーツが真っ先に連想される人もいるはず。トラストは日本のレースシーンはもちろんのこと、チューニングパーツの開発と製造、そしてその歴史を語るうえで欠くことのできない名門なのである。そのトラストが2008年に民事再生の適用を申請したことを覚えている方も多いだろう。現在は社名もあらたに「昭和トラスト」と変更し、しばらく控えていたプロモート活動も復活。カーイベントなどへも積極的に出展を行っている。そうしたカスタマーとのタッチポイントには、現場を切り盛りをする女性の姿があった──今回、お話を伺った飯岡智恵子さんである。 【画像】トラストを復活させた立役者の一人、飯岡智恵子さんのインタビュー風景を見る
幼い頃からスポーツカーが「カッコいい!」
チューニング業界は男の世界というイメージがある。それは男性は幼い頃からミニカーなどで遊ぶことで、自然とクルマが身近な存在であるからだろう。飯岡さんにもそうした幼少期からクルマに接する機会が多かったのだろうか。 「実家は千葉なんですけど、代々大工の家系でして、父が長男なので跡を継いだんですね。でも本当は、自動車整備士になりたかったそうなんです。父はクルマが好きだったんですね。私が物心ついた頃には、家にはちょっとしたガレージがありました。アルバムを見ると、ボンネットに私が乗せられて撮られている写真がたくさんあるんです。しょっちゅうドライブに連れて行ってもらった記憶も残っています。当時父が乗っていたのは、たぶん初代の三菱のコルトギャランだったと思います。私、とても父親っ子だったので、父がクルマの整備をガレージでしていると、よくその作業を見ていたんですね。すると父は、『クルマに乗る人間はタイヤ交換はできなきゃいけない』とか、『クルマの基本的な構造自体を理解してなきゃいけない』とか、そういうことを幼い私に話すんです。父はオイル交換のような簡単な整備はガレージでやっていたんですけど、『オイルの量を確認するにはここを覗け』とか、『ここのボルトを外すとオイルが出てくるんだ』とか、作業しながら幼い私に説明してくれていたんです。 また、親戚のおじも117クーペに乗っていたりして、週末になるとクルマが好きな親戚がうちの実家に集まって、クルマ談義をすることが結構あったんです。ロータスに乗ったおじや、歳の離れたいとこもサバンナに乗ってましたね。そうした親戚が庭先に集まって、ガレージでお茶を飲みながらクルマの話をするっていうのを小さい頃から見ていたので、クルマの中でもとくにスポーツカーに対しては『カッコいい!』という意識が幼い頃からありました。なので、クルマについては普通の女の子よりはちょっと違った環境で育ったという思いはあります。 ちょうど我々の世代がスーパーカーブームっていうことで、父に連れて行ってもらったスーパーカーのイベントでとても記憶に残っているのは、カウンタックやミウラですね。海外の車高の低いクルマを見る機会は少なかったので……。大人になったら、こういうスーパーカーに乗れるのかな、と思ったりしてました」
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