「あなたの演技、みんなにバレてます」東洋哲学のプロに人間関係の悩みを相談したら“本当の自然体”にたどりついた
「自然体な人」の“意外な正体”
森久保: でも、すごく自然体な人っているじゃないですか。 人の懐にスッと入って、一瞬で仲良くなる人に憧れていて… 僕がそういう人になるのは難しいですかね? しんめいP: 僕自身、“自然体”については結構研究してるんですけど、自然体の人って、案外技術でやってるんですよね。 たとえばジャズピアノで、めちゃくちゃアドリブを効かせた演奏を聴くと、「うわ、自然体で自由自在に弾いて、楽しそうだな~」って思うけど、その裏には練習と計算と経験がある。 もちろん本当にナチュラルにできる人もいるかもしれないけど、多くの場合、“自然体”に裏打ちされている研鑽が半端ないと思うんです。 本当に無邪気な人って、逆に子供のまんますぎて怖くないですか? そういう人と長く付き合うのはしんどい気がする。 森久保: それはそうかも。 しんめいP: 人と接するときに自然体に見える人も、距離感の押し引きを経験で身につけているだけな気がしますけどね。なので、意外と本人にとっては“自然体”でもないと思いますよ。 森久保: 僕は自然体でいられないがゆえに、すごく機会損失している気がするんです。 もっと仲良くなりたいと思うのに、スイッチを入れれば入れるほど“無理してる感”が露呈するのか、お近づきになれないことが多くて。 しんめいP: でも今、勝手ながら、僕は森久保さんと少し仲良くなった気がしていますよ。 なぜかというと、今日の話はつくりようがない。自然でしかありえないじゃないですか。 森久保: 悩みもオープンに吐露してしまえば仲良くなれるということでしょうか。 とはいえ、自然体で人付き合いができる人への憧れは消えないな… しんめいP: ある意味、残酷な事実なんですけど… まわりの人にとっては、森久保さんが自然体であろうがなかろうが、どっちでもいいと思うんです。 森久保: …と言いますと? しんめいP: 自然体に憧れながらも、無理して明るく振る舞ってる森久保さんと、みんな一緒にいてくれるわけじゃないですか。 裏を返せば、自然体に振る舞えるようになったところで、まわりからの反応は大きく変わらないと思いますよ。 自分にとっては切実な悩みでも、まわりにとっては、意外とどうでもいい話だったりするんですよね。