「GOする?」タクシー業界の常識を変えたアプリ 34歳で社長になった仕掛け人、祖父は野獣のような「昭和のタクシー王」
◆「タクシー王」の祖父から「お前が3代目」と言われて
日本交通の歴史は1928年、初代川鍋秋蔵氏が運転する1台のハイヤーから始まった。1945年には東京のタクシー事業者を取りまとめ、その後、日本一の規模に。遠くからでもタクシーとわかる「看板灯」や乗務員の教育施設を作るなど、秋蔵氏は常に業界初と言われる変革を続け、「タクシー王」と呼ばれた。 ----「タクシー王」と呼ばれたお祖父さんはどういう方だったのですか? 自分にとっては、庭でサッカーをしていて盆栽にボールを当てると「こらぁ!」と怒られる怖いおじちゃん。 私が中学2年まで存命でしたが、祖父にしょっちゅう呼ばれては「お前が3代目だ、頑張れ」と言われていました。 ある意味洗脳されていて、本当に中学高校ぐらいからとにかく「社長になるにはどうしたらいいかな」とばっかり考えてきました。 ----慶応大学を卒業し、アメリカに留学した後、世界ナンバーワンのコンサルティングファーム「マッキンゼー」に入られて。 幼稚舎からずっと慶応で、本当に勉強や受験をまともに1回もしてないのです。 高校・大学と体育会系スキー部で、右脳系の気合と根性は鍛えられた気がします。 でも、さすがに「気合と根性だけで社長ってやばくね?」と思って、左脳を鍛えるような手段としてMBAっていうバッチを見つけ、大学1年生ぐらいから卒業後はビジネススクールに行くことは決めていました。 それは日本交通の社長になるためです。 私の祖父が創業した30歳までは「外で修行」。 30歳からが本番と捉えていました。
◆アニマルスピリット丸出しの祖父
----お祖父さまは、どのような経歴だったのでしょう。 もともと鉄道の整備をしていたので、1920年代の最先端テクノロジーの自動車の整備もできると思い、自動車整備もしていました。 すると、「川崎造船の運転手として行け」と言われたようです。 当時の運転手は結構高給取りで、川崎造船に10年間勤めました。 ここは祖父のポジティブなとこですが、「後ろに乗せている日本を代表する大金持ちと、イチ運転手の自分。人間としてそんな大きな差はないんじゃないかと思った」と。 運転手って、結構プライベートとかが分かりますから。 ----大金持ちも外面はすごいけれど…というわけですか。 中身は、人間臭くて、怒ったり、泣いたり、いびきかいたりね。 それで、自分にもできるかもしれないと思って、30歳で独立したらしいです タクシーの行灯を作ったり、アメリカの状況を見てどんどん輸入したりして。 当時のベンチャーですよね。 しかも、ある時期から自動車に関する競合他社が一気に増えてきた。 すると、周り中に声をかけて買収にかかりました。 ----行動力がありますね。 やっぱりワイルドだし、「アニマルスピリット」丸出しです。 今、祖父がもし生きていたら、「一朗、お前まだタクシーやってんの?」って鼻で笑われるかもしれません。 もしくは「とっとと買収して、何かもうWeb3でもやんなきゃ」みたいに言われるんじゃないかって。 そうした祖父のマインドを考えると、もういくら変えてもいい、むしろ変えないと祖父に失礼だと思うようになりました。