「スキャンダルこそ人間の本質」 ――文春と新潮のOBが語る、週刊誌ジャーナリズムの真実
森「報道の劣化はまだあります。菅首相の長男の接待問題もごちゃ混ぜにしているでしょ。あれはよくない。7万4千円の高級ステーキを食いましたっていう値段の問題じゃないんですよ。総理大臣の息子が接待の現場にいたことが最大の問題で、放送の許認可に関わる問題が絡んでいる。これは汚職事件としての報道をしなきゃいけない」 柳澤「接待した背景を追及しなきゃいけないのに、むしろ7万4千円のほうに報道の重きが置かれてしまう。記事の本質はどこなのかをちゃんと書かなきゃ話にならない」 森「リークの危うさっていうのはそこにあると思います。飛びついて、それで終わりってなると、方向を間違ってしまう。自分もリークには騙されてばっかりですよ。書いた記事を寸前で止めたこともいっぱいありますから」
■批判を浴びてもやるべき報道もある
──一方で、過去には凶悪事件を起こした少年の実名を出すなど、議論を呼ぶ報道を「新潮」も「文春」もしてきました。 森「われわれの取材って、すれすれのところがあるわけです。1982年、『FOCUS』で田中角栄元首相の法廷写真を掲載した。法廷内は撮影禁止。それでもなぜ出したのかと言うと、法廷にいる田中角栄を世に知らしめるべきという思いがあった。法律にただ縛られるだけなのは、やっぱりわれわれの世界じゃない。法律は守らなきゃいけない半面、時には犯しても訴えかけるべきときがあると、齋藤さんは言っていましたね」
柳澤「ジャーナリストは条文に書いてあることよりも、天の法を大事にすべき、と」 森「ええ。僕はその教えは正しいと思っています。新潮は神戸児童殺傷事件(1997年)や川崎市の中1男子殺害事件(2015年)などで、加害少年を実名で報じてきた。本来は少年法で禁じられています。でも、犯罪の内容によっては、法を守る以上に考えるべきことがあるんじゃないかと。それは取材者の覚悟の問題で、どんなに批判を浴びてもやるべきだと思うときがあります」 柳澤「法律に異議を唱えることができるのがメディアでしょう。法律家にはできないわけですから。法律が間違っている可能性はないのか、時代に合わなくなっている可能性はないのかと、本来メディアは問いつづけなくてはならない。だから、女子高生コンクリート詰め殺人事件(1989年)では、週刊文春は実名報道をしたうえで『少年法は改正すべきだ』と主張したんです」 ──昨今は本音も言いにくくなり、きれいごとにまぶしがちです。 森「だから最初に言ったように、本心を書くことは意外と難しいということです」 柳澤「いまは誰もがインターネットで自分の意見を発信できるようになり、政治家も芸能人も直で発信する。一見、本人が言うんだから間違いないとみんなは思うけど、よく考えてみれば自分に都合の悪いことを発言するはずがない。週刊誌は当人が言いたくない本当のことを書く。そこに存在価値があるんです」 ──スキャンダルを暴く相手は一国の首相や検察トップ、芸能界の有力者など巨大組織です。「本当のこと」を書く怖さはありませんか。 森「あまり意識してないですね。地位がある人はどこかに飛ばされることもあるでしょうが、もともと自分たちには地位なんてないんだから、そんなことは気にしたことがありません」 柳澤「そうですよね。失うものがないところが、大手メディアと違う雑誌ジャーナリズムならではの強みかもしれません」 ーー 河合香織(かわい・かおり) ノンフィクション作家。1974年生まれ。神戸市外国語大学卒業。2009年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で第16回小学館ノンフィクション大賞受賞。『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で2019年、第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第18回新潮ドキュメント賞受賞。近著に『分水嶺―ドキュメントコロナ対策専門家会議』。 森健(もり・けん) ジャーナリスト。1968年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、総合誌の専属記者などを経て独立。『「つなみ」の子どもたち』で2012年に第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞、『小倉昌男 祈りと経営』で2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞、2017年に第48回大宅壮一ノンフィクション賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。