「スキャンダルこそ人間の本質」 ――文春と新潮のOBが語る、週刊誌ジャーナリズムの真実
柳澤「出版社系週刊誌は1956年に週刊新潮が最初にできて、59年に週刊文春が後追いした。週刊新潮という雑誌がどれほど偉大なのかは強調してもしきれないぐらいです。同業から見ても、新潮の文章はすごく統一されていて、誰が書いても新潮の文体になるように思います。あれはどうやって教育されるんですか」 森「記事のスタイルは作家の井上光晴が考えました。資料や物証がなければ証言でそれを補うが、真相ははっきり見えなくていいという『藪の中』スタイルです。新聞には書けない、週刊誌の真骨頂でしょう。編集幹部も文章へのこだわりは強い」 「私がデスクになった頃ですが、突然役員から電話で『ちょっと来い』と呼び出されて、役員室へ行くとゲラをぽんと突き返されたことがあります。そこには大きくバツ印が書かれていました。文芸出版社としての矜持があるのかもしれません」
柳澤健さんは1984年に文藝春秋に入社。「週刊文春」や「Number」などに在籍し、2003年に独立した。森功さんは新聞社などを経て、1992年に新潮社に入社。「週刊新潮」でイトマン事件などを取材したのち、2003年にフリーランスになった。
柳澤「週刊新潮の文章はどうあるべきと新潮の幹部は思っているんですか」 森「NHKみたいな書き方をするなと言われましたね。本当に自分が思ってることを表現しろと。齋藤十一の頭の中では、ジャーナリズムも文学も同じなんですよね。文学の視点、『人間の業』という視点で世の中を見ている」 「齋藤は『FOCUS』を創刊した時に、『おまえら、人殺しの面が見たくないのか』と言ったと伝えられていますが、実際は『人間は生まれながらにして死刑囚だろ』という言葉だったそうです。殺人犯の顔に人間の業が表れる。だったら、何がこいつを殺人犯にしたんだ、ということを取材して書けと。ニヒリズムのように見られますが、実は素直な人なんじゃないかなっていうのが取材を通した僕の印象です」