「V字回復企業」と低迷企業、トップの決定的差 日本企業に「強いリーダー」がいない根本理由
■日本企業、失敗の本質は機動力の欠如 かつて日本では、管理職といえば叩き上げで出世していった先に準備されているポストでした。しかしプレイヤーとしての実務能力とマネージャーとしての調整能力が違うとなれば、マネージャーという仕事を「プレイヤーの延長線上にあるもの」として考えるのではなく、プレイヤーとは別個に「マネージャーという専門職」があると考えたほうが妥当でしょう。調整能力に長けている人は、たとえ専門職のスキルが高くなくても、立派に管理職を務めることができるというわけです。
今や、みな一様に出世を目指し、一部の人たちが課長に、さらに一部の人たちが部長になるという昭和のころのピラミッド構造は崩れつつあります。同期でも管理職となって管理・調整能力を発揮する人と、ずっと現場で実務能力を発揮し続ける人とにキャリアパスが分かれるケースも増えてきているようです。 ただし組織のトップに立つ人ともなると、より複合的な能力が求められます。まず、ビジョンがあること。しかしビジョンさえあればいいわけではなく、その上に管理・調整能力や実務能力も兼ね備えていなくては、リーダーシップを発揮し、機動力高く組織を運営していくことは難しいでしょう。
アメリカのすべてを賛美するわけではありませんが、アメリカ企業にあって日本企業に欠けがちなものは機動力です。昔に比べれば変わってきているとはいえ、日本企業はまだまだ「和を以て貴しとなす」的なマインドが根強い。そのために、トップが大胆で素早い経営決断を下すようなリーダーシップを発揮していないという難点があります。 もちろん、なかには大胆な方針転換をしたことで成功した例もあります。写真のフィルムから化粧品や医療機器に方針転換した富士フイルム、家電からBtoBのインフラ事業へと方針転換した日立などは、その代表格と言えます。
ただ、これらは数少ない成功例に過ぎません。全体として見ると、やはり機動力の欠如はいまだに日本企業の通弊であり、それがこの30年、日本の産業界が衰退してきた一大要因であることは間違いないでしょう。 翻って任天堂ですが、本書を読んでいると、フィサメィ氏が本社の役員たちと対立し、説得する場面がたびたび出てきます。フィサメィ氏は、おそらく本社からするとかなり異質な支社長だったと思われますが、その彼をアメリカ任天堂のトップに据えたことで、任天堂本社にも変化があったことは想像に難くありません。