コッポラ監督も。ハリウッドのセクハラ問題は終わらない!
妻が不在で寂しくて…?
もはや“オールド・スクール”なハリウッド流の振る舞いではなく、欲望に抑制が効かなくなった老人の行動にしか思えない。実際、撮影中はクリエイティブ・パートナーでもあった愛妻エレノアが病床にあり、妻不在の寂しさや不安もコッポラ監督のメンタルを不安定にさせたと思われる。本来ならば、何らかのチェック機能が働くべきなのだが、実質的に自主映画なのが事態を悪化させたのだろう。120万ドル(約1億8千万円)もの製作費をコッポラ監督自身が出しているのだから、大手映画スタジオのように人事部が撮影中の不埒な振る舞いに目を光らせることもない。コッポラ監督からセクハラされて不快な思いをしたエキストラがいたとしても、申告する担当者などいなかったのだ。 写真:エレノア・コッポラ、フランシス・フォード・コッポラ
さらにマイナスなのは、コッポラが巨匠という事実だ。先述したデメトリは、コッポラ監督やその家族と40年近くにわたって公私を共にしてきた映画人だ。本作でもセカンドユニットを率いた上、助監督の一人としてコッポラを支えている。またファースト助監督のマリエラ・コミティーニに至っては「業界で最も尊敬されているコッポラ監督と一緒に働けて、非常に名誉に感じている」と心酔しきっている様子。周囲を家来のようなスタッフで固めているのだから、独裁者のような振る舞いが正されるわけはないのだ。
モラルの変化に巨匠は追いつけるか
もちろんコッポラ監督が芸術的な映画を作るのは事実だが、アーティストだから何をしても許されるわけではない。ニューシネマの時代が終わった70年代後半から大学で映画制作を学んだ世代の監督が台頭し、ハリウッドのエリート集団を作り上げた。次々とヒットを飛ばすスティーブン・スピルバーグ監督や『スター・ウォーズ』(1977)で映画史に名を刻んだジョージ・ルーカス監督たちからなる集団だ。アカデミー賞受賞作『ゴッドファーザー』(1972)でハリウッドの寵児となったコッポラ監督はそんなエリート・ギャングのボスだったし、同作で組んだ大物プロデューサー、ロバート・エヴァンスのような自由奔放な振る舞いがハリウッドの当たり前と思ったのだろう。セクハラに関する情報がその時代からアップデートされていないとしたら、周囲は非常に迷惑だ。 写真:ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ