なぜ福岡堅樹は7人制ラグビー東京五輪出場をあきらめ将来医師の人生設計図を貫徹することを決断したのか?
祖父が内科の開業医、父が歯科医という家庭で生まれ育った福岡は、5歳でラグビーを始めたときから医師という職業へも憧憬の念を抱いていた。そして、福岡高2年の夏にひざに大けがを負い、手術を執刀した医師から復帰へ向けて心身両面で感銘を受けた経験が、憧れを明確な目標へと変えた。 2年続けて筑波大学医学群を受験するもサクラは咲かず、一浪時の後期試験で同大学の情報学群に入学する。体育会でラグビーも続け、2016年春の卒業後はパナソニックで活躍。50メートルを5秒8で走破するスピードを武器に日の丸を背負う存在になっても、医師になる夢も抱き続けた。 愛してやまないラグビーのスケジュールを見れば、高校在学中にワールドカップ日本大会の、大学在学中には東京五輪の開催が決まった。楕円のボールを追いかけながら、人生の設計図を描いた。ワールドカップで15人制の、東京五輪で7人制の日本代表に、続けて行われる来季のトップリーグでラグビーそのものに別れを告げ、完全燃焼を果たした上で医師になる道を進むと心に決めた。 「東京五輪単体で決めたものではなく、日本で開催されるワールドカップとのセットで自分のなかで考えてきたものでした。なので、ここ(東京五輪)がひとつ途切れたからといって、(引退の)タイミングを簡単に後ろへずらすことは自分としてはできませんでした。一度ずらしてしまうと何かやりたいことがどんどん出てきて、タイミングそのものを失う可能性も考えられるので」 ラグビーと言っても、15人制と7人制とでまったく異なる競技となることも関係しているだろう。開幕したトップリーグに2試合出場しただけでパナソニックを離脱したのも、7人制に適応するための肉体改造に着手するためだった。福岡自身、7人制へ集中する決意をこう語っていた。 「15人制ではウイングの選手であっても、相手に当たり負けしない身体の強さが必要になってきます。これが7人制になると走る方に特化されます。15人制よりも広いスペースが与えられるなかで、何度も何度もトップスピードを出せる身体に変えなければいけない」