大学からラグビー始め歴代最多キャップ98…引退決めた大野均は”異色で不屈”「骨折隠し奇跡へ」「試合後4リットル酒」
日本代表として歴代最多の98キャップ(代表戦出場数)を持つ大野均(42)の現役引退が18日、所属先の東芝から発表された。長髪を振り乱して密集戦に頭から突っ込む42歳の通称「キンちゃん」は22日に会見予定だ。 異色のキャリアの持ち主であり、2010年前後の日本ラグビー界の顔役だった。 楕円球と出会ったのは、地元の福島県郡山市にキャンパスがある日大工学部でのことだ。 福島・清陵情報高校まで補欠選手ながら楽しんできた野球を大学でも続けたかったが、「部活の新入生歓迎の時期、身体の大きな先輩方に脇を掴まれて…」。連れていかれたのが、ラグビー部のブースだった。以後、度重なる電話連絡を受けグラウンドへ出かけたら、「実験と研究の合間にきつい練習に真剣に取り組む雰囲気」に惹かれて入部を決めた。 部員20名前後と小規模のクラブでは「先輩が引退して空いたポジション」を転々。加盟先は東北地区大学リーグ(2年時には2部に降格)と目立たなかったが、国体の福島代表として出会った指導者を介し、東芝の練習に参加できることとなった。 東北の青年にとっての事実上のトライアウトは、現役部員にとっても「いつもよりきつい練習」となった。あまりの激しさからすぐに肩を痛めた大野だったが、「帰ったら情けない感じになる」と最後まで体を張り、内定を勝ち取った。後に脱臼骨折と診断された。 そして競技開始8年目の2004年、初めて日本代表に選ばれた。生まれ育った農家で牛の世話をし続けてきた身長192センチ、体重105キロのタフガイは、泥臭さの求められるロックを任され相手のモール(立ったボール保持者を軸にした塊)を壊し、強烈なタックルを繰り返した。さらに持ち前のスピードは、若手時代にフィニッシャー役のウイングを任されたほどとあって、歴代の指揮官が目をつけたのは自然な流れだった。 4年に1度のワールドカップには3大会連続で出場。その大舞台のなかでもっとも辛酸をなめたのは、2011年のニュージーランド大会だろう。